「想い」と「言葉」と「行動」と

このところ、少々重い内容が続いていますが、それもまた必然なのでしょう。
お付き合いいただく皆さま、本当にありがとうございます。
ちなみに、今日もサラッと流すつもりではあります。
●1.
まず「想い」がありき。
心の中に抱く、描く、思う・願う。
この時点で、目に見えない世界に「自分がエネルギーを生み出し」ました。
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疲れた。忙しすぎる。苦しい。
美しい。素晴らしい。ありがとう。
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どちらを選択するのかは、人それぞれ。そしてそのシチュエーション次第。
決して変わらないのは、
ともに等しく、見えない世界に「自分自身が創り出している」ことです。
●2.
続いて「言葉」という媒体に、その思いを落とし込みます。
体をお借りした状態で、この物質次元に「言葉」として生み出しました。
物質化はしていませんが、言葉という波動がこの世界に生み出されたのです。
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疲れた・苦しい=体調不良や疲労感として具体的な痛みや嫌悪感を生み出す。
美しい・ありがとう=感動と感謝の恍惚感に至る強力な力を生み出す。
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どちらを選択するのかは、人それぞれ。そしてそのシチュエーション次第。
ところが、
これからの世にはどちらが必要であるかという、決定的な差異が存在します。
過去には(現在もなお継続中)両極ともにセットでなければ存在できない、この地・この物質次元でした。
ですが、これから先のロードマップには、これらセットでなければならないラボ(実験室)やスクール(学びの地)は閉鎖や廃校とする、とされ、旧態依然とした負の意識を顕在化させる場所ではなくなった、と決定し宣言されていることです。
●3.
最後に「行動」によって具現化・物質化してゆきます。
同じく、お借りして体験させていただく「体という名の衣」に、その言葉として生じたエネルギーを顕在化させ、体験してゆきます。
併せて、そのエネルギーを集合意識として、この地に波及させ拡散させてゆきます。それが正・負いずれであっても、因果の法則により、そのポイントがザクザク貯まってゆくことになります。
ここまでトレースしてみて、動け・走れ・行動せよ。それが答えだ!といった発言が、如何に短絡的であるかを思い知ります。
もちろん、
動くこと・行動することは物質社会に存在し生きている限りは避けて通れません。
動かぬことには、顕現化した物質に変化は生じないわけですから。
ただ、
それは、体を使って走り回ることだけではなく、多くの方が既に語られていますように、メモに記す、だとか、キーボード経由でデジタルデータに残すことも「行動」であることを忘れてはならないはずです。
そして最も重要なポイントは、
それは、最後の3番目に行うことであり、それ以前の2番目・1番目をスキップしていては、絶対に答えが出せない根本的な部分。ここが抜け落ちてしまっているかもしれませんよ、ということなのです。
以前にも試行したことがありますが、この3番から逆に発想してみます。
すると、
望ましい結果=物質化・顕在化した体験を得たいとするならば、1番である「思い」の段階を変えない限り、根本からは変えられない仕組みだということ。
いとも簡単に、そのフローがシミュレートできるのです。
それなのに…。
3番目だけを近視眼的にフォーカスしている限り、何も変えられません。
見た目だけは変化が生じるでしょうが、すぐ逆戻りしてしまうのです。
忙しい!・苦しい!
怒り・恐怖を抱き続ける…。
ああ、病気になるかも?
そして、医療というこれまた仕組まれた泥沼へ、底無し沼へ吸い込まれるのです。
その心、その氣持ちの先にあるもの。
わたしの場合は、そこには冷たいシーツと点滴、内臓を切って捨てると宣言される事象が具現化していました。
妹の場合には、病名・薬名、それに手術という数多くの名を連ねた「病気の総合商社」の地位を得て、54の歳に星に帰ったのでした。
またまた今晩も突っ走ってしまいそうなので、ここでピリオドを。
「想い」と「言葉」と「行動」と。
この地、この学びと体験のための物理次元・物質社会においては、この順序でなければ、望む結果が導き出せないこと。
あらためて、自らの心に問い、答えを生み出す瞬間を迎えています。
わたしたちは一人残らず、
みな恵まれています。
満ち足りています。
ありがとうございます。感謝申し上げます。
弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。
2023/06/07(Wed) 22:12:04 | New Age