見えないところにも多くの魅力が

少し難しい標題になったかもしれません。
見えるものと見えないもの。
もう、この外枠を語る必要はないと思いますので、ここでは触れません。
例えば、人に対する印象。
「〇〇さんは、こんな人。こんな〇〇なイメージ。」
「□□さんは、こんな感じ。こういう人。」
自分のモノサシで測って「その人の人格やサイズ」を勝手に決めてしまいます。
ある人を「100のものを持っているとしたら、そのうち85くらいまでは知ってるよ。親しいからね。それに長い付き合いだし。」という判断をします。
でも、
実際には、その人は100どころか、10,000も1,000,000もの奥深さをお持ちではないかな、と。
以前にも少し触れたように思います。
同じことが、人に対する認識以外にも、さまざまな部分で存在しているはずです。
考え方や思想など当然のごとく。そして、その対象がモノであっても。
だから、もっともっと尊重する心を忘れたくないもの。そう感じます。
この範囲で見えるもの以外にも、
--- 頬を柔らかくかすめる春風の香り。
--- 穏やかに響く小鳥たちのさえずり。
こうしたところにも意識を巡らせてみたいと思うのです。
もちろん、それらは見えません。記録もされていません。
そのためには、
見えない部分=その場・その瞬間の現地に居るかのように想像力を高めてみます。
これこそが、単なるイメージトレーニングにとどまらず、これからの世に必要とされる感覚・感性ではないかと思っています。
それぞれを尊重し、認め、そしてお互いに心の中でコミュニケーションする。
もちろん、自分と同じ感覚である必要はありませんし、それこそが尊重という本質だと思われます。
こうした感覚を持ち続けていると、いつのまにか「大自然と会話」できるようになっていることに氣がつきます。
いえ、言葉を介してではありません。心に伝わってくる感覚によってですね。
そして、目に見えない部分にも、多くの、そして大きな魅力が存在していることに理解が追いつきます。
素晴らしいではないですか。
その環境に、そして、その感覚を取り戻しつつある現在のわたしたち自身に、感謝の感情が満ちてきます。
自分の望む現実は、自分の心が創り出す。
その素晴らしい仕組みに。
わたしたちは一人残らず、
みな恵まれています。
満ち足りています。
ありがとうございます。感謝申し上げます。
弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。
2023/05/15(Mon) 21:11:48 | New Age