視点を下げて初めて見えてくるもの

この地においては、
水は高いところから低いところへ。
エネルギーも高いところから低いところへ流れるとされます。
この地は、その低い次元・物質社会を体験をする学校ですから、周囲を伺ってばかりでは、その波に飲みこまれたまま固着して抜け出せません。
自分にその氣がなくとも、自動的に低いところに流され捉えられてしまいます。
氣がついた時には、何段階もの階段を転げ落ちているかもしれません。
そして目が覚めます。
転げ落ちた自分の位置を俯瞰して感じるもの。
視点を下げたからこそ見えてくるもの。
それは、
エネルギー視点での相対的な自分の立ち位置、あるいは魂の成熟度合いとされる心の成長レベルだと思うのです。
もう一度、初めから登ってみよう。
そういった意識を持てたのなら、やり直しの旅も用意されているようですから、楽しみながら登りましょう。
他方、
悲観して抗ってしまいますと、水の流れは思いのほか強く激しく、足掻けば足掻くほどに流されて行きます。それも自分の意識が作り出しているのですから。
すでに、低い位置に身を置き学ぶという経験は「体験し尽くしたはず」ですから、もう一度やり直す必要はないのですね。
これを延々と無限ループの中でやっているのが、いまのわたしたち。
そこから抜け出したい!と、思うかどうか。
そして本心から願い、抜け出したあとの世界を明確に描いているかどうか。
願っていない=無限ループ居残り授業希望。となることを忘れないようにしたいものです。
成長・上昇し、流される前に初めに居たはずの上流に戻るために必要なエネルギーは、自動的にベルトコンベアーで運ばれてくることはありませんし、救世主や白馬の王子様が現れて助けてくれることもないでしょう。
意識をどこに合わせますか。
意識を何に持って行きますか。
視点を下げたからこそ見えてくるもの。そこから学んだこと。
そしてこの先に望むもの。
明確に描き続けましょう。それが自身の現実となってゆきます。
わたしたちは一人残らず、
みな恵まれています。
満ち足りています。
ありがとうございます。感謝申し上げます。
弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。
2023/05/02(Tue) 22:14:52 | New Age