言葉づかいには十分に氣をつける

色々な考え方があり、さまざまな生き方があります。
人それぞれ。
すべて自由であり何ものにも束縛される必要はありません。
でも、
「口にするもの(言葉)」には、十分すぎるほどの心配りをしたいと思います。
それは「音」として口から発する段階に至らぬまでも、心に描くだけであっても。
「言葉になる前にその感情を心に描く状態」。
その段階において、目に見えないフィールドには、既にエネルギーとして生成されていることを知るならば。
だからこそ、
心に抱く感情、心に描く意識に「責任を持つ」重要性、そうした部分が多く語られ、そして頻繁に目にするようになってきたこと。
ここに理解が追いつきます。
-- 一人くらい、何を考えようが、何を喋ろうが大したことないやろ。
-- 文句を言おうが愚痴ろうが、そんなもん人の勝手や!
こうして、個々人が心に描くものが集合体となり「大きな力」となってゆきます。
この重要ポイントを逆手に取って、この地を・この世の中を支配してきた少数の特定支配層が存在していることを、もうここで重ねて記す必要はないでしょう。
だから、世の中にはネガな情報が蔓延しているわけでして。
(この文言の意味が通じない方々とは、ここでのご縁は繋がっていないはず。)
まんまと、その策略に引っかかってしまうと「その負の力を増幅する」そんな立場、いわゆるワルもの側に、あろうことか自分がレギュラーメンバー入りしてしまいます。
(そして、氣づかぬうちにたっぷりとマイナスポイントを貯め込んでしまい、来世以降にもそのザクザク溜まったマイナスポイントを解消するための苦悩:因果が待ち受けています。)
あるいは、
自分の心の状態を感知するセンサーが「腐っている」と、ネガな力に憑依されていることさえ氣づくことができません。
(これは、口にする「食べ物」のほうが大きな影響を与えていることも判ってきました。)
みんなでより望ましい未来を描きましょう。と、過去からのすべての負の感情を浄化し、本当に苦しいプロセスを踏んで成長を重ねてきたはずです。
苦しみ・もがき・のたうち回る。
その苦しさを味わったからこそ、「もう二度とその力には意識を合わせない!」と誓い、そこから離れた人だけが、階段を一段あがることができたはずです。
そうした体験を積んだからこそ、もうそのエネルギーには合わせないだけのこと。
ところが、
その苦しみを、肉体的にも精神的にも、本当に極限まで味わったことがない人には理解できないのでしょう。
「何を浮ついてんねん!フワって嬉しいか!バカなやつ!」
「お花畑は脳天気で結構なこった!」
としか見えないのですね。
大人になり、年齢とともに人生経験を重ね、人の厚みや重み、といった内面を熟成させて行くにつれ、そうした「負の力を込めた言葉」から離れてゆきます。
そこにに、何らメリットがないのみならず、何も望ましい現実を具現化するためのエネルギーが含まれていないことが判っているからでしょう。
おばあちゃん(わたしの祖母:大正生まれ96歳で他界)が、幼少期のわたしに対して、何度も何度も「口にするものに注意しなさい」と繰り返して語った理由。
その本当の意味。
同じ世代となる、十干十二支が一巡りしてくる歳回りを迎え、はじめて理解が到達したことを嬉しく思います。
【おばあちゃんの知恵袋:先人の知恵を今日に生かす】
(noteサテライト)[Link]
恵まれています。
満ち足りています。
ありがとうございます。感謝申し上げます。
弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。
2023/04/18(Tue) 21:16:53 | photo blog