言葉にトゲを生やさず・トゲを埋め込まず

言葉にトゲ?
なかなか難しい感覚でしょうか。でも伝わる感覚だと思っています。
このところ、そうした感触を強く感じるケースが増えています。
それは「違和感」から派生した感覚と言えばよいかもしれません。
そして、その違和感が「良い方向への違和感ではなく」よくない方向へのムズムズ感を伝えるのです。
自分自身が、過去から大量にそうしたワードを放出してきたことに対する自覚もあります。
過去、その時点では、何の違和感も感じませんでした。
いえ、むしろ「ああ、スッキリした。」とでも言えば良いのでしょうか。文字に落とし込むことによって「ストレス発散」した。とも置き換えられる行為でした。
いま、そうした「トゲのある」言葉を放つことによって、目に見えないフィールドに「トゲのあるエネルギー」を生み出していることが理解できるようになりつつあります。
言葉をwebに記すだけではなく、心に描き・心に抱くだけで、そのトゲが目に見えない力として「何もなかったところに産まれている」ことを。
もっと正確に書くのなら、
「何もなかったところに負のエネルギーを自分が生じさせた」でしょうか。
そして、その力は、非常に強力に「心を突き刺す」ことが分かってきました。
トゲなので、痛い!と。
指先なら、痛っ!で済むでしょう。ところが、心が受けるダメージは非常に大きいようです。
言葉に込めた「心の状態」。
言葉に載せた「氣持ちの色合いや明暗差の感情」。
そうしたものが、一つひとつのワードに、まるでHTMLで言うところの「エンベッドタグ」に埋め込まれているかのように。
ブラウザで表側を見ている限り、HTMLソースは見えません。
でも、ここには動画をリンクしていますよ。だとか、ここに埋め込み記事が表示されるようにしていますよ。という指示があるのと同じように。
あるいは、
写真画像データに埋め込まれた、撮影時の機器設定や撮影時刻・位置情報までも含まれる「Exif情報データ」のように。
「言霊」と言われているものは、実はこのエンベッドタグのリンク先にあるエネルギーだったのかもしれない、と。ええ、もちろん例えですけれども。
だからこそ、
「口にする言葉には十分に氣をつけなさい」と、幼少時期のおばあちゃんの教育は口すっぱく伝えられてきたのだと、今になって理解したような次第です。
少なくとも、トゲを埋め込んでいる限り、そこで自分が生み出したトゲは自分に戻るわけで。
いえ、自分に戻るだけではなく、せっかく「真っ白に洗い上げた新生活を彩るための純白のドレス」に、ドス黒く汚れた負の力を含む液体をぶち撒けるような行為だけは避けたいと思うのです。
これから先に「何を望み何を願い」ますか?
言葉に「何をエンベッド」しますか?
恵まれています。
満ち足りています。
ありがとうございます。感謝申し上げます。
弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。
2023/04/10(Mon) 21:26:54 | New Age