類は友を呼ぶ

類は友を呼ぶ。
同じ地下茎で繋がっていれば同じ仲間。
一つの同じ体という見方もあるかもしれません。
そもそも植物自体が、種族全体で一つの集合意識だとも。
生き物すべてそうした存在なのだと感じます。
同じ周波数はシンクロが起き、同じ仲間だけが合致した意識に収斂してゆく。
そんな時代に入ったことが判ります。
美しいものを美しいと言うのは自由。
そう感じないものを、無理に感じようとする必要はないでしょうし、どのように感じ、何を表現するのも自由だと考えます。
否定の接頭語や接尾語が、その方向のエネルギーを生み出し、時と場所を変え、自分自身に戻ってくる。
自分に戻るだけならまだしも、そこで生み出したものが、集合意識を汚し続ける。
もう、これまでに学び終えているために不要であるにも関わらず。
この部分を考慮せずして、「汚す体験をする必要」が、ほぼ皆無になった、洗い上がりの真っ白な生地に、真っ黒な雫を垂らす愚は避けたく。
だから「発言に氣をつける」。
だから、これから進む道では「心に抱く意識に氣をつける」なのでしょう。
まだ「リトマス試験紙」が残っていました。
この地では永遠に残り続けるでしょう。
わたしは、そこで居残り授業を受ける予定はありません。
恵まれています。
満ち足りています。
ありがとうございます。感謝申し上げます。
弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。
2023/03/30(Thu) 20:52:36 | New Age