もうどうでもええやろ!

人を知る、自分を知る。その限界を知れば学習終了。
そんな感覚を昨日の記事に載せてみたのですが、いまひとつ練り込みが足りず不完全燃焼で終わってしまいました。
今日は、少々横からフォーカスを当てます。
「もう、どうでもエエやろ!」です。
何のために。
どうして。
なぜ。
答えを探す、答えを求める。
それ自体が「答え」。
その体験をしたら、それが「答え」。
答えなんてないんだ。
答えなんて探している時点でまだ未熟なんだ。
そう言っていること自体が「答え」であり、
そう考えていること自体が「学び」でした。
そして、
すべては「一(いつ)でなければならない。」
と語っている時点で、一ではなく、
そう語っている段階で、永遠に一には至らない。
けれども、
そう語った時点で答えに到達し学びを終える。
そういう体験をする場所。
そういう体験をするために、自分から手をあげて「100万人に一人の狭き門」とも言われるこの地において、この貴重な体をお借りして体験を積んでいるわたしたちです。
もう、どでもエエやろ。ってことでしょう。
そのプロセスを楽しめれば。
その論議を楽しめたならば。
春になっても、落ち葉のまま芽を出さない木。
このまま枯れ木で終わるのかもしれません。
その敷地には、いまだにテレビの音が響き、おもてに出ても万年スマホゲーム。と、成る可くしてなったエネルギーフィールドがそこにあるように感じます。
(失礼を申し上げる意図はありません。それぞれ人の自由であり、客観的事象として感じることに過ぎません。)
でも、
こうして、その葉やその枝を、横から眺めてみます。
光とのコラボレーションは、見事な姿を披露してくれます。
「美しいと思えば美しいエネルギーを生み出す」
「残念な枝葉だと思えば残念なフィールドが生成される」
もうどうでもええやろ。
自分が「心地よく」過ごせるエネルギーを選択するだけのこと。
もうどうでもええやろ。
自分が「ありがたい」と感じ、「感謝する」心持ちになれるエネルギーを選択すれば良いのだと。
ありがとうございます。
素晴らしい学びに、素晴らしい環境、素晴らしい体をお借りして素晴らしい体験を積めることに感謝申し上げます。
恵まれています。
満ち足りています。
ありがとうございます。感謝申し上げます。
弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。
2023/03/14(Tue) 19:29:47 | New Age