ひっそりと、でもしっかりと。

背が低くとも。
目立たなくても。
自分自身の精一杯、その瞬間瞬間を生きてゆく。
植物は、
苦しみがあるからこそ人生だ。これからも苦労し続けなければならない。などと言いません。
植物は、
お金に感謝し、より多くを引き寄せ、もっと豊かな生活をしよう。などとも言わないでしょう。
いま、自分にできる最善の姿を披露し、そしてその体験を重ねてゆきます。
もちろん、苦しいことが「起きるかもしれません」。
それは、突然の豪雨かもしれませんし、激しい気温の変化や強風により折れてしまうことかもしれません。
しかし、
それを苦あれば楽あり。などど美談にせず、何も言わず、何も後悔せず、あるがまま受け入れます。
人間の立場は、植物とは当然異なるでしょう。
苦しみを体験するからこそ、喜びも認識できる。その図式を否定するものではありません。
でも、頭の中で捏ねくり回し、自我の支配に囚われていることに氣づかず一生を終える(そして無限ループの輪廻から脱出できない)よりは、彼らの生き方は、より清く美しく、より学びを得ているのかもしれません。
そして。
その後、
美しさを精一杯披露したあとは、散ってゆきます。
それが彼らにとっての学びなのだと。
ひっそりと、でもしっかりと。
自分にできる精一杯の言葉と、精一杯のイメージと。
心の中から描きそれを伝えて行きたいと思います。
「これほどまでに満ち足りている今に感謝」し、
「ここまで素晴らしいこの瞬間を生かせていただいていることに感謝」したいと思います。
恵まれています。
満ち足りています。
弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。
2023/03/03(Fri) 21:07:41 | New Age