自分で選んだ階段を登り続ける

そこに階段があるから登り続ける。
そんな、格好つけた言葉を掲げなくても、確かにそこにある階段を登り続けます。
なぜなら、もう引き返すことはできず、引き返すところもないからです。
仮に引き返すことができるとしても、これまでの歩みと同じだけのスケールを巻き戻せねばなりません。
そして、
その先に何があるのかも知らずとも、でも、その先には自分が望む世界があると信じるからです。
さらに、
100パーセントそのように信じることで、その世界が現実となってゆきます。
わたしたちは、まさにこの山中の階段のごとく、ひたすら登り続ける道を自分から選択し、この地での学びを続けています。
山の頂に到着したのなら、きっとそこには絶景が待ち受けているはずです。
そう信じるからこそ、そこに絶景が具現化してゆきます。
心臓が張り裂けそうになる厳しい道もあるでしょう。
しかし、それは自分がそのように感じなければ、痛くも痒くもないはずです。
苦しいんだぞ。
心臓が割れそうになるんだぞ。
人生は苦労しなければ、ゴール地点の喜びは味わえないんだぞ。と。
過去に手にした「苦しみ勲章」など、いつまでも握りしめずに捨ててしまいな。
もうやめましょう。
現実に厳しい山道であっても、実際に心臓は張り裂けませんし、苦しい苦しいと考えずに歩みを進めれば、そこには喜びしか存在しないはずなのです。
そこに階段があるから。
そして、自分でその道を歩むと決めた以上、道中をどのように楽しむのか。
そこに喜びを見出せればこそ喜びが現実になるはずです。
ここは、自分で選んだ道であり自分が選んだ階段ですから。
何も望む必要などなく、何も求めることもなく。
ただ、恵まれていること・満ち足りていることを感じます。
ようやく、その感覚を文字にすることが可能になったような氣がします。
恵まれています。
満ち足りています。
ありがとうございます。感謝申し上げます。
弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。
2023/02/23(Thu) 21:55:32 | New Age