考えるのを止めてみると蘇る感覚

考えるのをやめる?
そんなことできるわけがない?
いかがでしょうか。
--この花の名前は何ですか?
--背景が「首切り」なので、もっと考えたほうが良かったよね?
--曇り空の様子なので、他の時間帯で撮ったほうがいいと思うよ。
コミュニケーションをスムーズにするために、
まず、こうした「言葉」を思考の中から捻り出してくるのではないでしょうか。
ええ、見ず知らずの方とwebを通して会話するのですから、当たり障りのない最も汎用的なワードを用いて、万人の共有事項であろうと思われる内容を取っ掛かりにするのは正しいに違いありません。
いま、それが正しいか正しくないか。
そういった観点で見ずに、その思考自体から離れてみます。
「考えるのをやめて」みます。
花の名前なんて所詮人間が勝手に付けたもの。
構図なんて、別にどのように撮ろうが、その時々の自由でしょう。
いま、この瞬間に「必要ではない思考」。もっと言えば「どうでもよい思考」に意識のパワーを配らない。
そんなところに「思考を回す」のをやめてみるのです。
この植物としての生命が持つエネルギーを感じてみます。
寒空の下、茎をこれだけの高さまで伸ばし、精一杯の花を咲かせています。
強い風に折れることなく、芯の通った強さを備えていることが、そこから見て取れます。
葉の表面にある粒状のものにも意味があると思われます。
こうした形態を創り上げるには、どれだけのパワーが必要だったでしょう?
この色彩感、花の中心部に表現されたイエローの彩りを実現するために、どうやってその色素を創り出したのでしょう?土の中には黄色いものは含まれていないはず。
こういったところを「考えずに感じてみる」のです。
こういった「生命としてのエネルギーを感じてみる」のです。
素晴らしい力がそこから伝わってくるはずです。
ともに生きる生命としての「存在意義のような力」を持っていることを感じてみるのです。
自分の体の一部に「黄色い色を染め上げる」ことさえ、わたしたち人間はできないのであり、この生命体が創り上げる深淵なる世界を垣間見る瞬間だと思います。
感じてみる。
それは、エネルギーの根源としての波動に周波数を合わせ、そこにシンクロする瞬間に感じることが可能になる、その「合一感覚・しっくり感」を体験すること。
物質社会に傾倒し過ぎ、思考回路が極端に「偏り過ぎた」わたしたちの意識。
いま、
この極端に偏ってしまったエネルギーの不均衡を拠り戻す必要があるはずです。
過去文明の栄枯盛衰を知るまでもなく、心の奥底から「このままでは崩壊する」というアラートが鳴り響いていることさえも感じられなくなったわたしたちの心。
喫緊の重要項目、心の振り子を反対側へ揺り戻してください。
そのためには、
勘を磨き、直感のセンサーを取り戻さねばなりません。
まずは「考えるのをやめ感じる」ところから。
その下地を作るためには、「口にする(食べる)もの」を変えるところから。
恵まれています。
満ち足りています。
ありがとうございます。感謝しています。
弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。
2023/02/07(Tue) 21:39:20 | New Age