「あるがまま」に向き合う

向き合う。すべてにあるがまま向き合います。
すべては自らが描き上げたシナリオ。
過酷であればあるほど、そこで磨き上げられる魂の成長度合いは大きく高くなる、とされます。
学ぶために、自分で手を上げ希望してやってきた「この地の学校」です。
しかし、いつまでも勘違いをしてしまいます。
「苦しんでこそ幸福を掴める。」
「苦しまなければ成長が叶わない。」
だから、
「いつまでも苦労し続けなければならない。」と美談にしてしまう。
確かに、学ぶためのプロセスとしては必要だったに違いありません。
しかしこれは、その成長過程においてのみ必要だったのではないでょうか。
負荷をかけて筋力を上げ鍛えるトレーニングのように、その時・その過程では負荷が必要でした。
でも、
学び終えたなら、もう離れれば良い。
学び終えたなら、もう無理矢理に苦労を買い、苦しみ続ける必要はないのです。
筋力と心の成長とで異なる点は、
一度、学びを得たならば、それを糧として生涯忘れないと思われることです。
放置していると筋肉がダブついてブヨブヨになるのとは違うのですね。
ここで、さらに勘違いをしてしまいます。
---じゃぁ、いつまでも苦労し続ける必要なんてないんだよね。
---それなのに、どうしていつまでも苦しく辛い現実が続くのか?
この段階で、選択する道を誤るために、無限ループに嵌って抜け出せなくなっているように見えます。
そこに「苦しみを呼び続けている」のは自分自身であることを忘れていませんか。
あるいは「苦しみがまだ経験不足だ」というサインかもしれないという状況を認めているでしょうか。
偶然は存在せず、すべてが必然であるとされます。
自ら「そのエネルギーにシンクロするように誘導している。」
自ら「その結果になるように導き寄せている。」
だから、そうした結果になることを。
エネルギーが同じ周波数であれば合致してしまうのです、必ず。
まさに物理現象、それこそ科学的に証明されている現象でしょう。
常に反対をやってしまうのです。
学び終えた後にも関わらず、いつまでも苦労しなければならない。と美談を語る。
そのエネルギーを握りしめたままなので、永遠のループを繰り返します。
あるいは反対に、
まだまだ学び足りないから、さらに勉強しなさいよ、と、目の前の現実として具現化しているのに、どうしてこうなるんだ!と否定し続ける。
自ら否定のエネルギーを抱き続けるから、そのネガループから抜けられない。
常に反対。いつも反対をやっているように見えます。
自分が事前に描いて携えてきた脚本に基づいて今世を体験している、その「あるがまま」に、もっともっと正直に向き合ってみたいと思うのです。
あるがままに任せると、何もかもがスムーズに流れはじめます。
実体験し、それを証明する人たちが急増しはじめました。
いつまで、流れに反対し、流れに争う行動を続けますか。
恵まれています。
満ち足りています。
ありがとうございます。感謝しています。
弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。
2023/02/05(Sun) 21:02:38 | New Age