何を見て何を想う

何を見ますか。
何を考えますか。
心に描くものが現実となる。
そんなアホな。
こんな感覚だった過去を流し・捨て去って、ようやく今に辿り着きました。
充分、人体実験をしてきました。
充分、体感し経験を積んできました。
さらに何を手にいれる必要がありましょうか。
お金?
地位?
不動産?リゾート地?
それともモノ?貴金属?宝石?
あるいは自由になる時間?
旧来のレイヤー上に存在する「モノ」を望み続ける限り、そのレイヤーから脱出し卒業することは叶わないでしょう。
心に描くのは、
他でもない「自然とすべての仲間である生命とともに歩む望ましい近未来」。
そこには、支配者によって作られ洗脳されてきた貨幣経済は存在しません。
行先は新しい世界であり、それをわたしたち自身の心から創りあげるのです。
誰かがやってくれるのではなく、
救世主が現れるのでもなく。
ここに意識を巡らせると、感謝の氣持ちが溢れ出します。
感謝の心以外は存在しないはずです。
無理にワクワクする必要などありませんし、
無理に引き寄せよう・呼びよせようなどと力む必要もありません。
まして、
苦しみも辛いことも両方が必要だから、と自ら希望し続け、我慢して頑張って努力しましょう。
そんな論法すら、もはや旧いレイヤー上の意識でしかありません。
これまでの学びのために必要だったことは間違いありません。はい、過去には。
ですから、学び終えたならもう必要がないのです。
心に描くものが現実となる。
ゆえに、
努力して、頑張って、苦しみを味わって。
これを続ける限り、永遠に自らが「苦しみ製造機」であり続けます。
何を見ますか。
何を考えますか。
心に描くものが現実となります。
恵まれています。
満ち足りています。
ありがとうございます。感謝しています。
弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。
2023/01/20(Fri) 21:16:30 | New Age