今年2023の味噌作りに思う

今年も味噌作り。
いえ、わたしは素人なので写真を2枚撮って終わり。
昨年2022年の味噌はすばらしい出来栄えで「現時点での一年もの」の熟成がさらに進んでいます。
この体は「借り物」。
もう語り尽くされてきました。
病は故意に作り出され、それに呼び名をつけて治療という名の「薬」に頼り続けざるを得なくする仕組み。
マッチポンプならぬネガティブ無限ループ。
薬という魔法の粉や液体に化けた石油利権・医療利権の仕組みに氣がついた人から、そのループを抜けて行きます。
はい、ループに浸り続け、さらに学び続けるのも自分の意志、ご自身の判断です。
このところ急激に増加してきた感があります。
(自分の意識がそこに向いているからシンクロしてきたのだと思っています。もうそうしたエネルギーからは離れるようにしたく思います。)
余命宣告、自分は苦しんだんだ。
はい、大変なご経験なさったのですね。それは大変でしたでしょう。わたし自身もあと少し遅ければ...と言われ、鮮血やドス黒い血塊に背筋が凍りつきました。
問診直後からストレッチャーに寝かされそのまま入院という体験は一生忘れません。
そして、
次に傷めたら「切って捨てる」とまで宣告されました。それ、両親に作っていただいた大切な体の一部。そして天と地からお借りしている大切な体なのに。そう安易と捨てるだとか言うなよ。ってことです。
でもね、それは自分の食をはじめとする生活によって齎されたものです。
借り物の体の「最高管理責任者の責務」を果たさなかったから。
できなかった。のは、言い訳。できないのなら、できるように環境を変えるのが責任者の責務。
毎日満足に食事もできず、朝の5時半まで仕事し帰宅してシャワー浴びれば再び出勤。まともに眠ることさえできないので居眠り運転・事故多発。
そして体が悲鳴を上げました。
あるいは、そうでなくても過去因果の解消のために苦しんだ方もいらっしゃることは理解しています。
だから、です。
もうそうした体験は要らないのです。そこにフォーカスするのはやめましょう、と。
学びのために必要な体験をしたのですから、学び終えたのなら、もう要らないのです。
やめるとは、体によくないことをしない。ということ。
そして、そこに周波数を合わせること自体から離れるということ。
体が作られているのは「口にする食べ物」。
だからこそ、そこを見れば「その人」のすべてが見えるのです。どういった食べ物について語っているか、その時点で推して知るべし。いわずもがな。
食べることは、その食べ物としての生き物の「いのち」をいただくこと。
おかげさまで、わたしは生きてゆけます。ありがとう。
だから、
「いただきます・ごちそうさま」。
だから、
口にする食べ物には十分に意識を巡らせ感謝を忘れてはならないと、おばあちゃんに教えてもらったのです。
今年もすばらしい大豆さんに巡り会えてありがとう。
今年もすばらしいいのちに触れることができ感謝申し上げます。
この場で、ともに同じ方向のエネルギーを束ねていただけるみなさま。あらためて貴重なご縁に感謝申し上げます。
併せて、常に強力な導きのエネルギーを送り続けていただく諸先輩方・高次存在への感謝の言葉を忘れぬように。
ありがとうございます。感謝しています。
弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。
2023/01/16(Mon) 21:46:41 | New Age