「心で感じる」という感覚

いつもお越しくださいましてありがとうございます。
理屈じゃないんですね。
その感覚。
感じる感覚は、頭で考えなくても「感じる」。
頭で考えると、感じる感覚そのものがスポイルされてしまうかのごとく、希薄になることがわかります。
感じる感覚そのものの大きさ、強さ。
そういったものが、更に大きく強くなっている感覚。
判る方には伝わるものと思っています。
他方、
指先から感じる水の冷たさや、頬を伝う風の冷ややかさ。そういったものはいわば物質的感覚であり、大きさや強さは「即座に感知」することが可能です。
どれだけ冷たいか。どれだけ強いか。
そうした感覚。
これらの感じとは全然異なる感覚。まったく異なる印象。
それが「心で感じる」という感覚。
でも、
それら手に触れるものと同じように、心で感じるという感覚は間違いなく存在しています。
もしかすると、心で感じることは、感じようとしない限り「感じられない」かもしれません。
ここが大きな落とし穴だと感じています。
永年の物質社会の輪廻転生で、麻痺してしまったのかもしれません。
その「感じ」こそが自分の存在だと。
氣がついた人から卒業してゆきます。
そして、
次のフェーズへ向かいます。
この場で、ともに同じ方向のエネルギーを束ねていただけるみなさま。あらためて貴重なご縁に感謝申し上げます。
併せて、常に強力な導きのエネルギーを送り続けていただく諸先輩方・高次存在への感謝の言葉を忘れぬように。
ありがとうございます。感謝しています。
弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。
2022/09/24(Sat) 10:14:15 | New Age