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宮本章光/宮本陽の視点「開闢」And EM Official Blog

みやもとあきらのしてん AKIRA MIYAMOTO@And EM

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自由自在が美しい

NaturePhoto AKIRA MIYAMOTO

幼少期には、絵を描くことが好きだった記憶があります。
それは、白紙の画用紙に、意味もなくクレヨンや色鉛筆を走らせる、その感覚に酔っていたのだと思っています。


記憶の初め、それは記憶として蘇らせることが可能な限界だと感じるのですが、その初期には、何もない=白紙の空間に、自分の腕や手を動かすことにより、何か色や軌跡が残ることを楽しんでいたはずです。

もう少し時間が経つと、形や色の認識が出来上がってきます。
そして、ぬりえ(塗り絵)と出会います。
この段階で、枠の中を彩る体験を通し、より現実的で実体感のある結果を導くことを知って行きます。
併せて、
「あらかじめ用意された枠の中にしか」色をつけることができない感覚も学びます。大人の感覚からすれば当たり前であり、その事実に正面から向き合うことさえありません。
しかし、
ここで葛藤が生じていること、記憶のはるか端に僅かながら残っています。
「現実の物体に近いリアルな絵」を残すことを優先するのか。
あるいは、
「枠の中という制限された場所にしか色を載せられない」という制限の感覚を取り払うのか。


よりリアルな実体に近い結果を導くためには、枠の中だけを丁寧に塗る必要があります。この結果を良しとする感覚が一つ。
ですが、もっと「手を動かして色が紙に記されるその行為自体を楽しむ」ことを優先したい、枠の中だけではないところにも描きたい、その感覚が一つ。
こうした氣持ちも同時にあったことを思い出します。

なるほど、その時から50年以上も経過しますと、
孫が、リビングのテレビ画面上にクレパスで派手に描く姿に慌てふためくわけですが、こういう感覚が、その昔には心の中に存在していたのだと。


その後、絵画教室のようなクラスに通わせてもらうことになります。
ですが、
その先生は、写実主義的…といいますか、先ほどの例でいうところの、枠の中だけをいかに美しく彩るかが最優先されるスタイルだったようで、軌道修正をたびたび受けることに嫌気がさしてやめてしまいました。

かなりの点数の絵(作品と呼べない駄作ばかり)を、高校卒業時あたりまで保存していた記憶があるのですが、その後、家族が入れ替わったり、さまざまな変遷を経過、1.17阪神淡路の瓦礫とともに消失しました。
ま、いまとなっては記憶の中に残っていればそれでいい。と思っています。


そんな体験を通して、写真の世界に入って行きます。
父親の一眼レフを勝手に使って故障させ、高額な修理費用がかかったことなども記憶からは消えていませんが、こと、この件については激しく叱られることはなく、そうした経緯が現在につながっていることを感じます。


ぬりえではなく白紙の画用紙に描けるその自由度、その開放感。
そんな心の底から感じる満足感に通じるような感覚。
それを、さまざまな方々の情報発信から感じることができるようになりました。

自由に生きている人は美しい。
自由に生きている人は素晴らしい。

自由に発想する姿は可憐である。
自由に拡大する姿は秀麗である。

自在に描く姿は劇的である。
自在に展開できる心は壮麗である。


自分らしさ、なんて大袈裟な言葉で括らなくても、
そのパワーは十分に伝わってくるものです。
自由に生きている人は美しい。

この場で、ともに同じ方向のエネルギーを束ねていただけるみなさま。あらためて貴重なご縁に感謝申し上げます。
併せて、常に強力な導きのエネルギーを送り続けていただく諸先輩方・高次存在への感謝の言葉を忘れぬように。
ありがとうございます。感謝しています。

弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。
2022/09/09(Fri) 11:45:03 | New Age

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