心を大切にするとは

北風と太陽の話。
多くの方がご存じだと思います。子どもの頃に読み聞かせを受けた記憶もあるでしょう。
旅人のコートを脱がせる、その結果によって勝敗を決める。
これは勝負の話だったのでしょうか。
読み聞かせとともに伝えられたその意図は、力任せにせずに、暖かく照らす心を大切にしましょう。という学びだったかもしれません。
ただ、結果的に、
北風のパワーで吹き飛ばそうが、ジリジリと我慢ならないほどまでの「熱さ」であろうが、ともに不快感を与えるレベルの攻撃を仕掛けている部分に大きな違和感を感じたものです。
わたしは幼稚園児の時代だったと記憶していますが、母親から語られた、その「暖かい心で」といった言葉と、限界に達する不快感で勝負をつける。というその設定との間に、何がしかの違和感・ギャップ、まさにクエスチョンマークが3つ並ぶような感覚を感じた記憶が残っています。
いま感じるのは、
この「勝敗を決める」やり方こそが、すでに過去の枠組みなのだろうということです。
これからの社会に求められるとされる「分かち合う」だとか「ともに栄える」といったようなイメージはそこになく、勝つか負けるか。
その判断が思考の中に刷り込まれている時点で、もはや過去の発想、古い枠組みの中の思考だったのだと氣がつきます。
そして、今、
北風のやり方も、太陽のやり方も、どちらも体験したら終了ですよ、卒業ですよ。
と、天からお知らせが届いているのだと思っています。
ああ、ここにも古い枠組みの思考があったんだね。と、氣がついたらそれで終了。
このあとには、次に何を望むのか。何を描くのか。
ここを忘れず、ここにフォーカスをすることが大切だろうと感じます。
でも、
ここで「アタマを使って捏ねくり回す」愚を繰り返さないようにしたいのです。
思考は、直感や勘を上書きし、みるみる一人歩きをはじめます。
心を大切にする。
とは、考えずに感じることだったのではないかと。
北風も太陽も、結局はパワーで押し切っただけで、結局は勝ち負けの美談につながる思考だったのかもしれません。
幼稚園児だったわたしの心の底に違和感として残ったもの。
それが、いまこの時期に及んでようやく花開くタイミングを迎え、そしてようやくその違和感が綺麗さっぱりクリアになるような氣がしています。
心を蔑ろにせず、心を大切にする。
それはまさに、
「考える」をやめ、
「感じる」を大切にする。
それだけだったのだと。
50余年の時間が経ち、幼少時期に感じた違和感は、ようやくここに到達したようです。
この場で、ともに同じ方向のエネルギーを束ねていただけるみなさま。あらためて貴重なご縁に感謝申し上げます。
併せて、常に強力な導きのエネルギーを送り続けていただく諸先輩方・高次存在への感謝の言葉を忘れぬように。
ありがとうございます。感謝しています。
弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。
2022/09/08(Thu) 11:18:00 | New Age