直感と感情のバランス感覚

直感に基づき判断する・できる、そういった人たちが増えてきた印象です。
幼少時期から自分の勘に従って生きてきた一人としては、いよいよ来たな。という感覚です。
今日は、過去、直感を信じて失敗したことがあるのか。というお話しです。
原則としてそこに失敗は存在しないはずです。導きである以上は。
但し、
誤った、早まった、間違えた。そう感じるケースは少なくありません。
遠回りをするプロセスが学びとして必要だったからこそ、一見失敗したように見える遠回りも意味があるのでしょう。
何が正解だったのかは、時間が経てば結果が証明してくれます。
乗り越えなくてはならない最大の課題は、その瞬間の感情(心ではなくアタマの思考)によって直感が歪むことです。
特に、負の感情に満ちている瞬間は、アタマの中がネガティブ方向の要素で溢れています。
よく語られるのは、
15分経っても怒りが収まらない場合はその悪影響が大きい。収まらない場合には放置しておけば振り子が元に戻る。
というもの。
わたし個人的には、時間の区切りはあまりアテにならないように感じます。人それぞれですから、それこそ「自分の直感」が最も正しいように思われます。
個人的な感覚に過ぎないことを初めにお断りしてから、以下を書いてみます。
直感と感情のバランスとは、
それぞれが別々の場所から流れてきているエネルギーである、と、しっかり分離・認識することが誤りの選択をしない秘訣だと感じています。
違和感が激しく心地よさを一切感じない瞬間。そんな事例を考えます。
まず大前提として、その違和感は直感が指し示しているはずです。この違和感だけにフォーカスします。
絶対値のような、どこから攻めてみても「ニュートラルな違和感」とでもいうのでしょうか。単なる「袖や丈が合わない服を着ている」そんな感覚です。怒りには接続されていない感覚、とも言えるかもしれません。
ですが、
心地よさを感じない部分が怒りに直結していると感じるのなら、この時点でそのエネルギーはアタマの中から湧いています。
これは、感情によって増幅され「単に袖や丈が合わないだけの服」が「誰がこんないい加減な服を作った!」と、まったく別の方向に暴走して行きます。
ここにフォーカスすると判断を誤ります。
「こんないい加減な服は絶対に着ない」という感情が、次には「こんな仕立てをするショップは二度と御免だ」となるのです。
袖や丈が合わないのなら、合わない部分を仕立て直しすれば良いのかもしれません。
それに、感性に合致したもっと別の服を仕立ててくれる技術者の接点が新たな縁として生まれるかもしれません。
このように、客観視した「ニュートラルな違和感」だけを選び出すことが成功確率を高めるように(わたし個人的には)感じています。
だからこそ、
「アタマで考えずに心で感じよ」と語られるのだと思います。
二つの性格が異なる要素を分離し、巨大なパワーに瞬時に成長する「アタマ由来」のエネルギーをスルーし、絶対値で測れるような「ニュートラルな違和感」だけにフォーカスします。
すると、違和感だけが純粋に抽出されるので、その違和感の大きさによって「選択すべき中心線」からどれだけ離れているかが俯瞰できる、という仕組みです。
あくまでも個人的感覚に過ぎませんが、この違和感の大きさにこそ「意味がある」ので、フォーカス先を間違えないことです。
ご健闘を祈ります。
この場で、ともに同じ方向のエネルギーを束ねていただけるみなさま。あらためて貴重なご縁に感謝申し上げます。
併せて、常に強力な導きのエネルギーを送り続けていただく諸先輩方・高次存在への感謝の言葉を忘れぬように。
ありがとうございます。感謝しています。
弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。
2022/08/19(Fri) 20:28:22 | photo blog