「どうでもいい」感覚

「どうでもいい感覚。」
ある見方をすると大変荒っぽい言葉ではあるのですが、思考がどんどん単純化しシンプルになっている状況に対する感覚です。
しかしそれは、投げやりな、という意味ではなく、不要なものを削ぎ落とし拘りがなくなった状態だと思っています。
いつもご連絡をいただく方々、数は限られていますが、とても深い部分で同じ周波数を感じることが多い方々は、同じような感覚を語られることが増えました。
意識はさらに進化・深化しつつあることが肌で感じられます。
他方、
こうした精神世界に関する話題になると、突然「危ない・触るな!」の一辺倒な方々も多いのが現状です。
確かに、こうした目に見えない世界をビジネスに落とし込んでワナに嵌める悪徳商売が存在しているのも事実だと思われますし、それに対してガードを張るのは、落とし穴に落ちないための自衛手段でもあるでしょう。
そうしたワナが無い、とは言いません。
ですが、それは(過去にも書いたことがあるように思われますが)、
---墜落するリスクがあるから飛行機には乗るな鉄路で移動せよ。
---通話料金が高いから携帯は使わずオフィスの電話で掛けろ。
---ゲーム機になるのがオチなんだから一人一台のPCなんて導入する必要がない。
---面談こそ営業の極意なんだからメールなど使わず訪問せよ。
といったような、時代錯誤甚だしい感覚と非常に似ていることが判ります。
その当時・その瞬間---それは昭和末期でしたが---には、そういう考え方があって当然であり納得できる部分もあったのです。
よって、
精神世界に「不用意に触れる」危険性を語るのは、それはそれとして必要な発言だと理解できます。
ここまでの基礎となる土台を相互理解した上で続けます。
精神世界を語ることは、人間本来の姿としてのエネルギーに対する理解や、輪廻転生、因果応報、そして宇宙の摂理に関わる部分まで意識を拡大するために必要なプロセスであることを知らなくてはなりません。
地球の反対側に行く必要があるのに、鉄路で行け(支配者により隠匿された地下の交通網があるという論説はここでは触れませんし論旨から外れますので除外します)、と場違いな発言をしてみたり、PCをゲーム機として使うのか、はたまた強力な営業拡大ツールとして使うのかは、使いこなす当人のスキル次第であることなど、この二つの例えを見ても、そもそも論点のフォーカス位置が完全にズレている可能性があります。
繰り返しになりますが、
危険・リスクが高い!のは承知の上で、それを「食べてみるかどうか」は本人の判断と意志なのであり、悪徳商法が蔓延っているフィールドだから触るな、離れろ、それを語るのは狂った奴だ。それに触れている人間はおかしい輩である!と決めつけ、一方向からしか見ないでいるその人自身がその枠に囚われ、それ以上に拡大できなくなっていることに氣がつけないままだという、まさに反対側のリスクを負い続けること。ここを乗り越えなくてはなりません。
まさに、
イイもの・ワルものという対立構造に囚われ、精神世界を語るのは悪者側の仕掛けたワナである、と理解しているように見えて実はそのワナにハマっているという二重構造に掛かっていること。
二極化二元化構造のゲームが味わい足りない。との意思表示だと俯瞰できるのです。
こうした諸々の体験を積み、そして学び成長を重ねてゆく。それが人生の目的であり、永遠に続く魂の目的であること。
この意識に到達するためには、絶対に避けて通れない道であることを理解したいものです。もちろん道は人それぞれですので、異なるルートもあって良いのです。
そして、
それらを思考の中で咀嚼し消化したならば、その次のステップに及んで初めて、それらを一切合切クリアにし捨てることで、さらに上の段階に上がれるようになるとされているわけです。
これが、それぞれ小学校から中学校へ、高校へ、大学へ。の例えと同じく、その区切り区切りごとに使用した教科書はすべて破棄し新しい教材を学ぶ。こういうことだと思うのです。
食べ物を口にせずに、消化したら手放ししてこそ仙人だ。
...的なお話しと同じであり、まず食べて味見する。ただし毒は食べない(あるいは針を通して体に入れるも同じ)ことを徹底した上で、食べてこそ消化が可能なプロセスに移行できるのであり、触るな・離れろ!そんなものを喰うのは狂った奴だ。の大合唱では何も進歩が叶いません。
こうした声が、ここに来てどんどん増えてきているので、いま非常に危険な(反対の意味での)状態だと危惧しています。
頭で考えすぎ、頭で論理をコネ回しすぎてしまうが故の現象かと感じます。
だからこそ、
そのどうでも良いことに拘らず、どうでも良いことから離れるのです。
どうでも良いことに、どうでもよい論理を重ねて論議している限り、現状は変化せず永遠にその状態が続きます。
それこそが量子論で明らかになってきているのですから。
どうでも良い感覚。
それは、どうでも良い不要な要素を削ぎ落としたからこそ語れる感覚だと感じます。
そして、
異なる部分は違いとして認め合い、お互いともに尊重し、同じ周波数を感じる部分でその心を束ねてゆきたいものです。
良いところを認め合い、伸ばしてゆけるからこそ仲間としてともに成長できるのではないのでしょうか。
これこそ、いま求められているスタンスであり、精神世界?何だそれ!危ないぜ、狂ってる奴には近寄るな!それは悪の手下が仕組んだワナだ!と、そういった確かに存在するであろう仕組みを知れよ、と叫ぶ自己承認欲に縛られ、その現実という名の手錠の奴隷と化していることに氣づきたいものです。
この場でご縁のあります多くの皆さまとともに、常に強力な導きのエネルギーを送り続けていただく諸先輩方・高次存在への感謝の言葉を忘れぬように。
ありがとうございます。感謝しています。
弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。
2022/07/25(Mon) 14:44:05 | New Age