本氣で願う・本氣で望む

本氣で願い、本氣でイメージする。
語り尽くされた言葉です。
逆説的ですが、だからこそ既に「麻痺」してしまっている可能性があります。
その言葉に対して、です。
--本氣で願うんでしょ。
--本氣で祈るんでしたね。
はいはい、分かってますよ。もう耳タコですから。
この「麻痺スパイラル」に陥っているケース、かなり多いように見えます。
言葉にはエネルギーが込められています。
いえ、言葉そのものがエネルギーだといいます。
その言葉に込めたエネルギーが、目に見えない世界で途方もない大きな影響力を及ぼします。
そうは言っても、どうなるか判らないし...。
そうは言っても、先のことは見えないし...。
この言葉が持つエネルギーが「何を」「どのような」未来を創造して行くでしょうか。
どうなるか判らない不確定な現実を目の前に具現化してゆくのではありませんか。
どうなるか見えない不明な現実を目の前に現実化してゆくのではないでしょうか。
本氣で願っていましたでしょう。
本氣でイメージしていましたでしょう。
本氣で願いイメージしていたのであれば、そのイメージは「必ず」具現化することを理解していましたでしょう。
二元化・二極化のこの物理次元では、善悪やプラスマイナスのすべて両極の体験が実現します。
それを学ぶためだったのですから。
しかし、ネガティブの極みをイメージし、それが瞬時に具現化するとリスクが高すぎるケースが出てきます。
恨みつらみなどの負のエネルギーを放出し、それが瞬時に具現化してしまいますと、その対象の生命が危機に晒されます。
この野郎、息を止めてやる!と、心に抱いたとして、それが瞬時に現実になりますと殺人です。
ですので、この地では、プラス方向にもマイナス方向にも長大なタイムラグが設定されているのだといいます。
それなのに、
その「願っても叶うかどうか不明だ」「イメージしても現実にならない」といった、権力者に刷り込まれた洗脳の「垢(アカ)」がまだ残っていることで、
だから、一生懸命に努力しなければならない。
だから、どうなるか判らない。
というスパイラルに落ち込んだまま抜け出せなくなります。
結局、その思考という頭の中のネガティブエネルギーは、いつまで経っても浄化されずのままです。
もちろん、いま存在しているのは物理社会であり、肉体を纏って生きているのですから、それらすべてを否定することはできません。
準備も必要です。リスクに備えることも必要です。
ですが、
それらのベーシック・基幹部分を超えたところにある思考・意識は、やはりこれから望まれるエネルギーで満たしておきたいわけです。
本氣で願う。
本氣で望む。
これは、アタマで理解することではない、と散々語られてきました。
アタマの中は、上記のような垢がどうしても残るのです。いえ、そのように意図的に作用するように設定されているのだといいます。学びのために、です。
アタマのいい人、アタマの回転の早い人が陥るスパイラルです。
ですから、
アタマで考えずに心で感じる。のだと伝え続けてきました。
そうやって人体実験をしてきたからこそ、オフィシャルの場に文字として残しています。
本氣で願い、本氣でイメージする。
そこまで本氣で委ねたのなら、あとは宇宙の流れに任せる。
いま求められている心のつかいこなし。
いま必要とされる意識のつかいこなし。です。
この場でご縁のあります多くの皆さまとともに、常に強力な導きのエネルギーを送り続けていただく諸先輩方・高次存在への感謝の言葉を忘れぬように。
ありがとうございます。感謝しています。
弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。
2022/05/16(Mon) 21:37:19 | photo blog