意識が先・後から結果

心に描く意識というものがまずあって、そのエネルギーが創り出した結果として現実の風景が生じる。
心が先で結果は後。
もう耳にタコができ満腹だと思います。
でも、タコが幾重にも重なるほど聞き飽きた言葉、それが本当に実践できているでしょうか。
繰り返し繰り返し自分に問い続けなければ、すぐに「心が占領」されてしまいます。
侵略してくるエネルギーは、他人の思考によって外部に作られたものに影響され、自分の頭・思考が勝手に作りだしてしまいます。
今世のみならず、ずっとこうした物理世界に住み続けているために「その感覚が当たり前」になり、心で感じる感覚が麻痺してしまっているのです。
これを、わたしは自分の心のセンサーが腐っている、と例えてきました。
センサーが腐っている人は、磨くなり取り替えるなり自分でリペアしなければ誰もやってくれません。
その腐っている状態にさえ氣がつかないのは、もう救いようがないわけです。
しかしながら、
腐ったセンサーで生涯を過ごす選択をし、その脚本通りに生きることによる「学び」がその人にとって必要だったのならば、他人は、その人のシナリオに土足で踏み込んで書き換えることはできないのです。
人に伝える。とは、
人の脚本を書き換えることではなく、その人の選択肢や判断材料を増やし提供することだと考えます。
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日月神示
キつけてくれよ、キがもとざぞ、キから生れるのざぞ、心くばれと申してあろが、心のもとはキざぞ、総てのもとはキであるぞ、キは (よろこび)ざぞ、臣民みなにそれぞれのキうへつけてあるのざぞ、うれしキは うれしキことうむぞ、かなしキは かなしキことうむぞ。
おそれはおそれうむぞ、喜べば喜ぶことあると申してあろがな、天災でも人災でも、臣民の心の中にうごくキのままになるのざぞ。この道理わかるであろがな。爆弾でもあたると思へばあたるのざぞ、おそれるとおそろしことになるのざぞ、ものはキから生れるのざ、キがもとぞ、くどくキづけておくぞ。
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氣がもと。
意識が先。
心が初め。
こちらでご縁のあります多くの皆さまとともに、常に強力な導きのエネルギーを送り続けていただく諸先輩方・高次存在への感謝の言葉を忘れぬように。
ありがとうございます。感謝しています。
弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。
2022/03/30(Wed) 12:13:22 | New Age