真実探しの旅を終える

〇〇探しの旅。
XX探しの旅。
そんな言葉はもう昔のものになるでしょう。
そんな言葉が存在する世界はもう過去のものになるでしょう。
なぜなら、探す必要がない世の中になるからだ、と語られています。
もう真実を探し求める必要はありません。それは自らの心の中に存在しています。
自分の心に訊けば答えが見つかります。
いえ、頭で考えるのではなく、心に訊くのです。
すべては必要な学びのための体験でした。
心音が弱くなり胎児の安全が危惧される...と診断され、へその緒が首に絡みつき窒息しかかっていた状態で、予定より一ヶ月早く産まれてきた出生。鉗子で無理に引き出されたことにより、首と頭の骨はズレを起こし、耳も変形したまま現在に至ります。
肺が弱いと言われ毎週のように風邪を引きながらも、骨の成長が早すぎるのが原因だ、と足の成長痛に悩まされ、現在の常識では免疫を司るとされている臓器を、発熱の原因になるからと切除された子供時代。利権にまみれた医療の闇を、すでにその時点で重要な体の一部分を失うという形で経験していました。
人に合わせることに激しく抵抗しながらも、それを行うことで周囲が穏便に進むというこの不合理な社会を知ったのは幼稚園から小学校までの時期でした。
人と遊ぶより図書室に向かう幼稚園児。人の考えていることが少しだけ見えるような体験を重ねました。
もっと幼い時期には、夜間のベランダに宝船のような水色の船に乗った妖精が出現した記憶も鮮明に残っています。夏の夜、ベランダの窓を開けたその場にフワフワと浮いていた存在がありました。
その時に抱き抱えてもらった祖母(と記憶。叔母の可能性も。)は、この場でも何度も記しましたような「貴重な教訓となる言葉」を多数残してくれました。
この記憶は夢の中の出来事なのかどうかはっきりしていないものの、当時の家のパーツや釘、色やサビなどの状態や位置までも克明に関連づけられ、現在でも極めて鮮明記憶していますし、その時の寝間着の色や布の質感まで記憶に残っていることから、幼少期の実体験だと確信しています。
抱き抱えてもらった祖母に聞こうにも、もう存命せず叶いません。
こうした「見えないものが見える・見えないものを感じる」ことができた幼少期から子供時代。
いま、
この年齢期の感覚に戻るタイミングを迎えたのだと心が伝えてきています。
そして、それに合致した世の中の動き。いえ、それは混乱の風景ではなく、精神世界に関する急激な現在の展開のことです。
忘れていたもの・忘れていたことを思い出すだけだ、と語られていますように、当時の感覚が甦りつつある現在の状態を楽しんでいます。
ええ、パブリックスペースにこうした文字を記すのは、少し前までは精神異常か狂った感覚。とされたかもしれません。ですが、強い確信を持って感じるものがあるからこそ書き残しています。
ノイズに流されず、新たな世の中を創造して参りましょう。
共感・共鳴し、ご一緒できます方々とともに。
こちらでご縁のあります多くの皆さまとともに、常に強力な導きのエネルギーを送り続けていただく諸先輩方・高次存在への感謝の言葉を忘れぬように。
ありがとうございます。感謝しています。
2022/01/21(Fri) 20:39:01 | New Age