ペチャクチャ喋らずに食べなさい

「ペチャクチャ喋らずに食べなさい。」
いま、このワードを書きますと誤解が生じるリスクがありますので、まず初めに。
全体主義と監視化奴隷化の流れは、ついに黙食(モクショク)などという馬鹿げた洗脳を始めていますが、それについて語るものではありません。
当然、そうした狂った流れには同意できませんしその動きに追随するものではなく、食事という行為とその場の意識についての内容です。
この狂気の沙汰に触れるだけで著しく意識レベルが落ちますので、ここで前置きは終えます。
「ペチャクチャ喋らずに食べなさい。」
それは、
いまから50年以上前に、祖母(96歳で他界)が幼少期のわたしに対して語った言葉です。
その意味は、
「しゃべりながら食べると、食べ物として命を捧げてくれた生き物たちに感謝する気持ちを忘れてしまう。」
「だから、余計な・必要のない会話を慎み、口にする食べ物にお礼を伝えながら味わいなさい。」
ということでした。
テレビを見ながら食事をしない。という教育もここに通じるものだと思います。
余計な思考が入ってくることで、食事をする・食べ物をいただいている、そのような意識が消え失せてしまうからです。
もちろん、
食事という機会は、コミュニケーションの場としても役目を果たしているはずで、会話そのものを全否定するものではありません。
祖母の言葉は、以前から色々と(他SNSも含め:「おばあちゃんの知恵袋」〜先人の知恵を今日に活かす note.com[Link])この場に記してきました。
50年以上もの年月が経過してもなお、その真意が色褪せずに強力な波動を伝えてくれることに驚いています。
この期に及んで、その言葉の奥深さを噛み締め、食べ物としてその命を捧げてくれる動物たち、そして果実や野菜という形でエネルギーを与えてくれる植物たちに、御礼とともに感謝の氣持ちを忘れてはならないと思います。
また、
四つ足の生き物は本来は口にすべきではなく、必要最小限にとどめるとともに、一口ごとに感謝を忘れないようにしたいものです。
先人の言葉も話ずれずに。
今年、味噌を手作りしてくれています。
このあとの工程が大変なようですが、わたしは料理に関しては完全に素人で、むしろマイナスレベルのスキルなのでここで語れるだけの下地がありません。前段階の写真を撮って終わってしまいました。
が、健康第一と、本来の人間の生きる道を模索しながら色々と展開してもらえることに感謝しています。
こちらでご縁のあります多くの皆さまとともに、常に強力な導きのエネルギーを送り続けていただく諸先輩方・高次存在への感謝の言葉を忘れぬように。
ありがとうございます。感謝しています。
2022/01/18(Tue) 14:22:44 | New Age