「ひふみよいむなやこと」と数える

数字を数える場合に「ひふみよいむなやこと」と数えていますでしょうか。
普段からそうした数の数え方を実践なさっている方は僅少ではないかと思います。
わたしの父親(昭和ひと桁生まれ:他界)は、数を勘定する場合には常にこうした言葉を口にしていました。
ウチの場合は「ひ・ふ・み・よ・いつ・む・なな・やつ・ここのつ・とお」だったように記憶しています。それぞれ地域や育った環境によっても差があると思われます。
ひふみ祝詞(一二三祝詞)は、古来から日本においては、数を数える目的にとどまらず、それぞれ一文字ごとにその文字が持つ意味(言霊)を尊重しながら、数を数えるたびに発声することにより無意識に感謝の心を伝え表現できる優れた習慣だ、と聞いた記憶があります。
わたし自身の世代では、そして以降現在に至るまで「数を数える言葉」は、
「いち・にぃ・さん・しぃ・ごー・ろく...」と、節(ふし)をつけてまるで歌うように数える世代になりました。検索するまでもなく、多くの方々はその数え方が身についているものと思われます。
誰が言ったか、誰が流行らせたか。それも洗脳の一つだったのだろうと想像に難くありません。
恐らく、一二三祝詞の言霊を語らせない(発言しない)ように仕向けられてきたのでしょう。
ですが、もう氣がつき理解が進んだのですから、必要に応じ(といいますか、必要ない場合には必ず)ひふみよいむなやこと...と数えてゆきたいものです。
そして、
ひふみ祝詞とカタカムナの関係性まで知るに及び、物事の両極性・二面性、すべては対(つい)になって二つで一つ。善悪もプラスマイナスもともに尊重し認めるその真意にまで意識が到達してゆきます。
善も悪も共に認め受け入れる、悪は滅ぼすのではなく、善の対にあるからこそ受け入れるというその意味を。
そうです、元に戻るだけ・元あった力を思い出すだけ。と伝えられている通りです。
元々備わっていた潜在能力がことごとくスポイルされていたのですから、それを取り戻すのです。
ともに歩み、ともに進めて行きましょう。
こちらでご縁のあります多くの皆さまとともに、常に強力な導きのエネルギーを送り続けていただく諸先輩方・高次存在への感謝の言葉を忘れぬように。
ありがとうございます。感謝しています。
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カタカムナの聖地・保久良(ほくら)神社の巨石の一つ
2022/01/04(Tue) 20:41:55 | New Age