何が起きているかを知る必要性

情報過多。混乱。
真実を求める旅はさらに混乱を極めます。もう終わりにしましょう。
そもそも目に見える形で入る情報に鮮度はなく、すでに手垢にまみれているはずです。
生きた魚を手に入れたいにも関わらず、海へ行っていないのですから、スーパーの棚に並んだパック詰めの切り身を手に取り「調理時間」の早い・遅いだけでしかない「差」に一喜一憂しているようなイメージです。
ですが、それでも求め続ける。知りたい欲求は否定できませんし必要な行動に違いありません。
これを続けている限り、現状打破は無理だと伝えられてきた通りでしょう。
目の前の風景は、過去の集合意識の「遅延映像」であるからです。
急激にwebが静かになったと感じていました。
ところが、混乱を故意に生じさせる動きが目立つようになりました。それも、そこにフォーカスする自分の意識が創り出していることは明白なのですが、これを繰り返しながら階段を上がるしかないのでしょう。
ハッと氣がつくと、やはりそこに引き込まれて行く感覚が炙り出されます。
そしてそこから体勢を立て直します。
何が起きているかを知る必要性そのものを捨てる。けれども、それも義務感に押されずに振り子を自由運動させるイメージでしょうか。
どのような方向に感じるエネルギーなのかを見極める。いえ「見極める」だと思考の連鎖にハマるので、やはりそこは感じる。でしょうか。
結局はこれの繰り返し。そして、どこまで・どのように成長を続けるのか。
自分自身を伸ばすのは自分自身でしかないことを、あらためて認識します。
併せて、常に強力な導きのエネルギーを送り続けていただく諸先輩方・高次存在への感謝の言葉も忘れぬように。
ありがとうございます。感謝しています。
2021/12/15(Wed) 21:12:43 | New Age