そこに仲間がいる限り

言葉を通して語ることがなくても、
会って話しをしたことがなくても、
そこに存在を感じることができる、そんなエネルギー。
それは、人だけではなくすべての生き物。
それは、動くものだけでなくすべての存在に。
幼少時期の記憶が鮮明に蘇る機会が増えています。
毎朝、早めに登園した児童たちは、数多くのおもちゃで自由に遊ぶことができる環境が整っていました。
クルマもあれば列車もあり、また小さなものから大きなものまで。
朝の時間は、各部屋の仕切り板を開放し3部屋か4部屋が通しで見渡せる大きな教室として利用、各自が思い思いに遊んでいました。
仕切り板は、ベージュのような薄いピンク色のような色彩であったこと、その板の厚みや移動時の音の響きまで克明に思い出すことができます。
ですが、わたしはそこに魅力を感じなかったため図書室へ一直線に向かい、児童書を片っ端から読み続けていました。
その園(児童館の幼児クラスでした)の図書室にある幼児書を貸し出しを含めてすべて読んだのは、わたしとあと数名だったと後に聞きました。
ここで毎朝、同じように書棚からお氣に入りの本を手にとって、その世界に没入しているもう一人の園児が居たことも記憶に蘇ってきています。
名前や顔を思い出すことまでは叶いません。しかし、非常に切れる(聡明なという意味)意識を持っているであろうことが、その周囲に放つエネルギーから感じることができました。
いわゆるオーラが醸し出されていたのでしょう。今になって思えば、この児童が持つ波長にシンクロすることに心地よさを感じていたのかもしれません。もちろん、本の中身に意識が移ると視界からは消えていました。
エネルギーの周波数が合う、だとか、エネルギーの強さだとか、そんな難しいことなど一切理解できない園児の年代。
お氣に入りの本は、まるでレコードやCDのジャケ買いと似たような感覚で、表紙のデザインや色彩感で決めていました。
そして、他の児童のオーラを感じながら過ごすという贅沢な時間を堪能した時期でした。
この時期に、まさしくエネルギーのシンクロを感じその心地よさを追求するといった体験を重ねていたこと、今になって記憶が蘇るのは、ここに行きなさいという導きに違いないと感じています。
それは、
言葉ではなく、話しをすることでもなく、存在を感じそのエネルギーに同期することで得られる心地よさこそが、これからの新しい世界に必要とされるものだと確信しています。
そして、
そこに仲間がいる限り、そのエネルギーを大切にして行きたいとあらためて思うのです。
そこに仲間がいる限り。
併せて、常に強力な導きのエネルギーを送り続けていただく諸先輩方・高次存在への感謝の言葉も忘れぬように。
ありがとうございます。感謝しています。
2021/11/18(Thu) 21:14:48 | New Age