木々と会話していますか

木々と会話していますか。
何を突拍子もないことを...。
と仰る方は、もうこの場からは離れ・去って行かれたことと思います。
深くシンクロが可能な方々とのご縁を大切にしたく考えています。
植物も生き物です。
そのように明確に意識したのは幼稚園に入る前あたりだったでしょうか。それ以前のような氣もしますが記憶に残っていないだけかもしれません。
猫の額すらないような狭小な庭でしたが、鉢植えの木をスコップ(地域によってはシャベルが適切かもしれませんし、移植ごてと呼ぶと伝わるかもしれません。)で切り落としてしまったことがありました。
何がそうさせたのか、何が楽しかったのか。
枝が切り落とせる、自分の手に持ったスコップでチョップする。
そのような感覚だったように思うのですが、それ以外にどのような力がそのような残酷な行為に走らせたのかあまり鮮明な記憶が残っていません。
その日の夜。父が帰ってきてからきつく叱られたことは言うまでもありません。
自分の手や足を切り落とされたらどんな気持ちがするか考えてみよ。と。腕を雑巾絞りされて激しく痛かったことは鮮明に覚えています。
そもそも、自らの手足が切られる、といったその感覚さえも意識したことがなかった年齢だったと思います。
当然、遊びの中で怪我をすることで「痛み」そのものは理解していました。ですが、自分で痛みを感じる以外に「他の存在の痛み」に意識を巡らせる。そういった体験は、その残酷な悪戯を持って初めて感じたように思います。
この銀杏たちにも命が宿り、その「衣」を纏う魂が存在します。
わたしたちも、現在の第3密度の肉体を持つ遥か前には、植物だったことがあるのかもしれません。
そもそも、
現時点で深く眠り続ける人たちは、その過去の因果を今世で解消できなかったのなら、その度合いによっては「再度、第1密度である岩石からやり直し」だと伝えられているのです。
木々と話だ?何をバカなことを。
そうでしょうか。
心の中で波長を合わせることでコミュニケーションは可能だと氣がついている人が増えているはずです。
もうそういった時代・次元に突入しているのです。
大切にしたいものです。
併せて、常に強力な導きのエネルギーを送り続けていただく諸先輩方・高次存在への感謝の言葉も忘れぬように。
ありがとうございます。感謝しています。
2021/11/11(Thu) 21:27:42 | New Age