他の生き物と会話するとは

四季折々それぞれの季節に相応しい写真をSNSのタイムラインに流す。
そして、いいね!を数多く集める。
そんな行動も人それぞれ。人それぞれの自由です。誰も何もジャッジしません。
しかしながら伝わるようになってきました。
そうです「伝わる」のです。
人に見せよう見せようとして撮った撮影者の姿が。
人に氣に入られるよう、いいね!がたくさん集まるよう意識した撮影者の姿が。
以前から、写真には撮影者の意識が乗ってきますよ。
と言われてきましたし、わたし自身もそのように語ってきました。
それが、ここに来てより強力に伝わりはじめたと共に、そのエネルギーを感じ取ることができる人が増加しているように感じます。
他方、
そうした意識を「ほとんど持たずに」撮られたであろう作品は、そのようなエネルギーが伝わってこないのです。当たり前のことかと思われます。
そのような「よそ行きの服」「見た目がまずありきな意識」といった仮面を被っていないので、被写体そのもののエネルギーがダイレクトに感じられます。
撮影者の「よそ行きの服」がよくない、という意味ではなく、撮影者の意識というベールが「邪魔」になってしまうケースもあるかもしれませんね。ということを伝えたく思っています。
なかなか文章表現が至らないので、文字に落とし込むのが困難でしっくりこない感覚が払拭しきれません。
このような撮影者のベールが皆無あるいは僅少な場合には、被写体の持つエネルギーと同期しやすいはずで、その対象が植物をはじめとする生き物の場合には、そのエネルギーに容易に繋がることが可能ではないかと思うのです。
当然、
生き物以外であっても万物にはすべて意識が宿る。といわれるように、その対象が放つエネルギーを感じることが可能ではないでしょうか。
こうした植物をはじめとする生き物は、
何ら不平不満を撒き散らすことはなく、
一定期間を超えると枯れて生命が絶たれる恐怖もなく、
ひたすらその瞬間、いまこの時を生きています。
ここに意識を合わせてゆくと感じることができるエネルギー。それを感じた時点で、その生き物と会話ができたと言えるのではないでしょうか。
他の生き物と会話する。とは、こういう感覚なのだろう、と思っています。
しかしわたしの場合、それは言葉とはまったく異なる感覚。人間の言葉に置き換えることはできない感覚です。
(人の言葉に置き換えている限り、それは真ではないでしょう。そんな姿こそ邪に憑かれているのかもしれません。)
こちらから語りかけてみてください。きっと返ってくるはずです。
これこそが、考えずに感じる。その本質ではないでしょうか。
併せて、常に強力な導きのエネルギーを送り続けていただく諸先輩方・高次存在への感謝の言葉も忘れぬように。
ありがとうございます。感謝しています。
2021/10/15(Fri) 15:35:18 | New Age