「ゆるふわ系」の限界を悟る

「ゆるふわ系」の限界を見極める時期が到来したように思います。
プラス思考という言葉で伝えられてきたイメージも似たような括りで「卒業」するタイミングかもしれません。
プラス思考を続ける限り、その「対(つい)」となるマイナス部分に存在する思考はどうのように処理されているのでしょうか。
以前に、サッカー試合における選手たちがピッチで発する「切り替え!」という言葉について考えてみました。
失敗にくよくよせずにサッサと気持ちを切り替えて。というものでした。
とても大切なことだと思います。過ぎ去ったことに拘っていては90分の時間はアッという間に流れてしまいますので。
これと同じように、
マイナス波動となるもの、それは所謂「心地よくないもの」「違和感を感じるもの」だとされますが、それらをサッさと手放しましょう。というわけです。
もちろん、そこからさらに上級編があり、一旦受け止めてから理解し・尊重し、自分に必要のないと判断したのならば手放しましょう。と言われます。
単に心地よくないから、違和感を感じるから...。そうした理由だけで「蓋をする」のは現実逃避に過ぎず、一旦受け止めていないから、そのエネルギーを見極めることができない。だから受け止めて尊重し手放す。という部分をアドオンするところが上級編たる所以でしょうか。
このフェーズで長らく頭打ち状態が続きました。自分自身にとって。
しかし、ここで完結だとは思っていませんでした。そこに「いつまでも消えない違和感」を感じつつ、それを払拭し切れなかったのです。
そして、ようやくその階段を踏みしめて、もう一段上がるタイミングを迎えました。やっと悟りました。
わたしたち地球人は、二極化・二元化の地で勉強をしているのでした。熱中しすぎてゲームだったことさも忘れ去っていると伝えられているのはもう耳タコ状態に違いありません。
この地では「必ず対(つい)」になるものが存在し、必ずそれらを「ともに認める」必要があるのだというところです。
悪はけしからん懲らしめろ。
戦争反対、平和の祈りを。
救世主の登場を待ち望み、自らの心の闇を認めていない。
これらは、いずれも対になる「どちらか片方だけ」に偏ったエネルギー配分ではなかったでしょうか。
どちらも認める。どちらも均等に意識配分をする。
そうしてこそ、初めて均衡が取れたエネルギーとしてニュートラル・ゼロポイントに達し、ようやく新たな階段を認識することができるのだ。と。
一旦受け止め認めて尊重し手放し。というのは、自分に関係がないエネルギーだから手放すのだという一見よく説明されたプロセスのように見えていました。ところが、選択によって道が開かれるのではなく、選択によって片側だけのエネルギーしか認めていなかったのではないのか。というところに落とし穴があったようです。
結局、必要のないものを選択しなかった、という言葉は、現実逃避で蓋をして意識の外においただけの状態と同じだったかもしれません。
プラス思考を突き詰めれば突き詰めるほどに、対になるマイナスエネルギーは増大し、手放したはずなのに心の闇として裏側で成長し続けていたのでした。
対とは、絶対値で必ずバランスするものだったのです。それが地球でありそれを学ぶ必要があったのですから。
やじろべえのように、左右で必ずバランスを取った状態が必要だったのです。
ともに認める。
片方だけの選択にしない。
エネルギーとしてニュートラルに整えてから、次のステップに進む。
やっと次の階段が見えてきたように思います。
ちなみに、これらの変遷は個人的思考の成長記録として捉えており、何ら強要も強制も意図するものではない点をご理解ください。
併せて、常に強力な導きのエネルギーを送り続ける諸先輩方・高次存在への感謝の言葉も忘れないようにしたいと思います。
ありがとうございます。感謝しています。
社会の混乱、それはもはや過去になりました。今後消滅が確定しているタイムラインからは卒業したのです。
「ゆるふわ」や「お花畑」と揶揄される現実逃避でしかなかった感覚とは全く異なる世界観に到達した方々との同期体験を積み重ねて行きます。
また、
それ以前の学習が足りないと感じられたのなら、大量の過去アーカイブを残していますのでどうぞご自由に。
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お天道様はいつも見ている
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合わなくなった着物を脱ぎ旅立つ
2021/08/28(Sat) 21:05:27 | New Age