卵が先か鶏が先か:意識が先か現実か

「卵が先かニワトリが先か」
ビジネスシーンでもよく語られる言葉ではないでしょうか。
言葉通りに解釈しますと、卵がなければ鶏は生まれてこないわけで、その観点からは「卵が先」ということになります。
ですが、その卵を産む鶏が存在していなければ卵そのものが産出されない。となり、それは哲学的回帰を求める場合の言い回しとして例えられるようなループに入ってしまいます。
似たように、
「意識が先か現実が先か」と語られることが増えました。
しかしこれは答えが決まっており「意識が先だ」と伝えられています。意識が先にありきで、その意識が目の前の現実を具現化させてゆく、とされています。
ここで、卵が先か鶏が先か、と同じスパイラルに陥ります。
目の前の風景・社会が大混乱に陥っているから意識がポジティブに保てない。と。
いえ、
それは、人類の集合意識が創り出した「過去の結果」が具現化しているのだと。
タイムラグが大きいために、時間差で目の前に現れるのです。
権力者は、一般民衆を奴隷化・家畜化するために、こうした物理次元の法則を知り尽くした上で、それを逆手にとって悪用したわけです。恐怖や怒りといったネガティブな意識に陥るように意図的に構造構築の段階から仕向けてきました。
その手段はもう散々語り尽くされてきましたように、口にする食べ物から始まり教育洗脳、メディア洗脳、貨幣経済に宗教支配と物質社会のピラミッド構造が、その恐怖や怒りのベクトルに向けられるよう、その構造から支配してきたのです。
ですから、
意識をその方向に向けず、そこにシンクロするのを一切やめてしまえば、そうしたネガティブエネルギーが生じません。
よって、そのエネルギーがなくなることで闇は消滅する。と。
至って簡単シンプルだ。と語られているのです。
しかし、
永年の悪弊が抜け切らず、いつまでも目の前の混乱にフォーカスするから、それが永遠に改善せず状況が変化することがありません。
もちろん、因果の解消・浄化ができていなければ、負のトリガーが引かれた時点で怒りや恐怖のどん底に突き落とされます。
ですが、そのために昨年2020年が存在していたこと、もう重ねて書かなくても大丈夫でしょう。
過去アーカイブも大量に残っています。
目の前の現実は、過去の意識の結果だと。
それならば、これから描く望ましい近未来を意識というフォーカスの中心に据えておく。
それが、いまこの瞬間からのアクションであると容易に理解できるのではないでしょうか。
◆【直前記事】
そこに存在するだけで意味がある
◆【前々記事】
意識のフォーカス先を間違えない
2021/06/16(Wed) 21:14:30 | New Age