ボケ表現は永遠の課題だ

写真(に限らず映像も同じだと思うが)のボケ具合の表現というのは実はかなり奥が深い。
過去にこのブログ内でも、ボケに関する記事をいくつか書いてきた。
「ボケた」だけで喜ぶのはもう卒業[ Link ]
浅すぎる被写界深度[ Link ]
ボケが注目されているけれど[ Link ]
最近は、フルフレームセンサーのデジタル一眼レフの普及やミラーレスカメラでも大型のセンサーを搭載するものが増えたこともあり、更にボケ追求の流れが大きくなっているようだ。
対比を語る上で「ボケ」は有効な手法だと思うのだが、ボカさない主題にばかり注意が行き、脇役としてボカす部分にあまり注意が払われていないことがあるのではないだろうか。
「ボケ」を使う限り、何を、どれだけ、どのようにボカすのか?に意識をめぐらせなくてはならないと思う。
とにかく目立たせたい主役にフォーカスを持ってきて、あとは全部ボケていればいいですよ〜。という感じの写真が多くなってきた。
映像の世界でも、大きなセンサーによるボケはシネマフィールド以外では馴染みが無かったこともあるのだろうが、DSLRを使用したCMなどを見ていても主役だけフォーカスが来ていて、あとは単にボケているだけ、しかもそれボケ過ぎ...。というのが結構目に付く。
主役だけシャキっとしていればそれでいい。ボケはテキトー、というのではあまりにも薄っぺら過ぎるように感じる。
ボケ具合、その度合いにも色々な段階があるわけで、そこで絞りやレンズの焦点距離を変えながら、そして、被写体と撮影者の距離や背景との距離などを変えながら、試行錯誤し一枚の絵が完成する。
更には、ボケと絡めた色彩の対比や画面に占める割合など、考えはじめると本当に奥が深い。
「ボケただけでよろこばない」
「脇役は全部ボケていればいいのではない」
「そのプロセスを楽しむ」
という【ボケ三段活用】でもっと撮影が面白くなるはずだ。
2012/06/13(Wed) 18:24:28 | Shallow focus