浅すぎる被写界深度

二つ前の記事【ボケ過ぎた写真になる?】[ Link ]でも触れたが、大口径単焦点レンズを開放、または開放近くで使った表現をする人が増えている。
フォーカスポイントと、そうでない部分との大きな対比を語る手法であるが、最もセンスが問われるのは、どこにフォーカスポイントを持ってくるのか?というところ。
特に、コンデジから一眼レフ、そして汎用ズームから単焦点...という一連の流れを経験してきた人にとっては、とにかく大きくボケることが楽しい。(はずだ。)
それはとても大切な体験であり、行き着いた「大口径単焦点」の世界ならでは。であろう。
しかし、何も考えずに撮ると、ただボケた部分が広いだけの説得力に欠ける写真になってしまう。
ボケ部分が大きいことで、そうではないフォーカスが来ている部分をより強くアピールするわけだから、肝心のフォーカスポイントとなった部分に「意味」が無ければならないはず。
テーブルに運ばれた料理を、「何も考えずに」中央のAFポイントであわせただけの写真。
何も考えていない。というとウソになるが、しかしながらボケ部分とフォーカス部分の対比という観点では、何も考えていない一枚である。
単にボケ部分が広いだけの説得力に欠ける写真...。
になっていることが判るだろうか。
「単」の使いこなしが難しいといわれるのは、こうした部分を言うのだと思う。
また、映像制作の道具としてデジ一眼を使う人たち(私自身も使用しているが)も増えている。センサーサイズが極めて大きいことから、盛大なボケを利用した表現をすることが可能になる。
しかしながら、上記の「ボケとフォーカスポイントの対比に意味を持たせる」ような活用、という観点からは程遠い映像が多いように感じる。
彼らは、いつも「スチルと違って時間軸で語るもっと高度な世界だ」と豪語するが、その世界に上記のような通常では得にくい大きなボケによる対比という手法を加えた。
しかし、単なる目新しさだけに終わって、対比の本質を追及しきれていないように思えてならない。
果ては、「所詮、写真を撮る道具だから、やっぱりおもちゃなんだよね〜。」
で終わってしまう。
問題が数多くあるのは判るが、ビデオ用に設計されていないのだから当然である。
だからこそ、その「対比」という部分に撮影・制作者の感性を盛り込まなければならないはずなのに...。
肝心の表現の本質を追及しないまま、おもちゃ扱いする人たちには、この道具は永遠に使いこなせないように思う。
2010/03/08(Mon) 00:42:57 | Shallow focus