SNSタイムラインでニュースを読むのをやめる
断捨離シリーズ...というわけではないが。
SNSのタイムラインでニュース記事を読むのを止めるだけで、随分と能動的になれるはずだ。
Facebookアカウントは削除済み、Twitterは化石と化し、LINEはもう何年もログインすらしていない。こうした媒体を通してニュース記事を読むことがなくなり久しい。
昨今のキュレーションメディアの弊害を語るまでもなく、SNSのタイムラインに流れるニュースや種々情報は、かなり偏った表示がなされているのは周知の事実。
本来、それは情報を受け取る側の意思によって設定した条件に基づき、セレクトされソートされていたはず。
しかしながら、Facebookの事案に見られるように、イギリスのEU離脱もアメリカ大統領選挙も、SNS運営元が意図する情報選択と、意図的に偏った表示をするスタイルにより「洗脳」されてしまった可能性もあるかもしれない。というのが現在の状況かと。
旧来のメディア、それは新聞をはじめとしてラジオもテレビも、はたまた出版物においても、すべてその提供元の意図や意思により作り上げられている点では同じかもしれない。
しかし、社会システムに及ぼす影響といった観点では、その力関係に大きな変化が起きている。
ほんの数年前までは、ニュース記事はRSSリーダーで読んでいたはずだ。
RSSリーダーなんて過去の遺物...と捨て去ったのはもう随分と前の話かもしれない。だが、それはGoogleがそのサービスを止めたから。ではなかったか?
多くの人たちは、その背景にあった「AI(人工知能)によって、あなたに最適な情報がキュレートされる新しい体験を。」という、AIを育てるための壮大な人体実験に供されていたことに考えが及ばなかったのではないのか。
それが良いか悪いかの論議をするのではなく、考えが及んでいるかどうか。ではないだろうか。
自分の手で、必要なタイミングに、必要とされるニュースソースを選び、作為的な香りをもろともせず、手に入れた情報は自らの意思を持って判断する姿勢を忘れてはならないと思う。
RSSフィードは、現在も多くのニュースソース発信元から提供され続けているし、私は、[Newsify (Link)]のような優れたアプリを利用し、SNSによって作為的に表示されるソースとは接点を持たないようにしている。
AIがけしからん、だとか、Fecebookが嫌い、だとか、Googleがどうだ。だとかの狭い了見ではなく、自ら考えることをしなくなった私たちの将来は、僅か10年先でさえ真っ暗かもしれない。
「人間は考える葦である」という言葉を思い出しておきたい。
SNSのタイムラインでニュース記事を読むのを止めるだけで、随分と能動的になれるはずだ。
Facebookアカウントは削除済み、Twitterは化石と化し、LINEはもう何年もログインすらしていない。こうした媒体を通してニュース記事を読むことがなくなり久しい。
昨今のキュレーションメディアの弊害を語るまでもなく、SNSのタイムラインに流れるニュースや種々情報は、かなり偏った表示がなされているのは周知の事実。
本来、それは情報を受け取る側の意思によって設定した条件に基づき、セレクトされソートされていたはず。
しかしながら、Facebookの事案に見られるように、イギリスのEU離脱もアメリカ大統領選挙も、SNS運営元が意図する情報選択と、意図的に偏った表示をするスタイルにより「洗脳」されてしまった可能性もあるかもしれない。というのが現在の状況かと。
旧来のメディア、それは新聞をはじめとしてラジオもテレビも、はたまた出版物においても、すべてその提供元の意図や意思により作り上げられている点では同じかもしれない。
しかし、社会システムに及ぼす影響といった観点では、その力関係に大きな変化が起きている。
ほんの数年前までは、ニュース記事はRSSリーダーで読んでいたはずだ。
RSSリーダーなんて過去の遺物...と捨て去ったのはもう随分と前の話かもしれない。だが、それはGoogleがそのサービスを止めたから。ではなかったか?
多くの人たちは、その背景にあった「AI(人工知能)によって、あなたに最適な情報がキュレートされる新しい体験を。」という、AIを育てるための壮大な人体実験に供されていたことに考えが及ばなかったのではないのか。
それが良いか悪いかの論議をするのではなく、考えが及んでいるかどうか。ではないだろうか。
自分の手で、必要なタイミングに、必要とされるニュースソースを選び、作為的な香りをもろともせず、手に入れた情報は自らの意思を持って判断する姿勢を忘れてはならないと思う。
RSSフィードは、現在も多くのニュースソース発信元から提供され続けているし、私は、[Newsify (Link)]のような優れたアプリを利用し、SNSによって作為的に表示されるソースとは接点を持たないようにしている。
AIがけしからん、だとか、Fecebookが嫌い、だとか、Googleがどうだ。だとかの狭い了見ではなく、自ら考えることをしなくなった私たちの将来は、僅か10年先でさえ真っ暗かもしれない。
「人間は考える葦である」という言葉を思い出しておきたい。
2018/04/18(Wed) 21:14:08 | SNS