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宮本章光/宮本陽の視点「開闢」And EM Official Blog

みやもとあきらのしてん AKIRA MIYAMOTO@And EM

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もっともっと感覚的に

御神木から受け取る photo 宮本章光

本日二投稿目となります。
急激に流れ込み、溢れ出すためここに記し残します。


これまでの世では、感覚的なものは否定されることが多かったように思います。
感覚よりも技術。
感覚よりも理論。
感覚よりも体現・実践。と。
如何に、物理実体を使い動かすか、と片側に偏っていたかが判ります。

そうした時代に染まりきっていたのですから無理もありません。
エビはあるんか!ソースはどこや!、と否定する人はようやく減少したように見えますが、まだまだ心底では唯物主義的な感覚から脱しきれません。

わたし自身が講師としてご縁をいただいていましたカルチャーの各クラスでも、相当偏った技法的なお話しをお伝えしていたことを思い出します。
ですが、
これからの世は、感覚的なウエイトを大きくそして急速に高めてゆく必要ががあります。
片側に偏りすぎたエネルギーは、揺り戻してバランスを取ろうとするからです。

そしてここが最重要ポイントかと感じる部分です。
感覚的なもの、直感に響く感触が、この先の世を牽引してゆくこと。
これまでのごちゃ混ぜの世では実現しなかった「エネルギーのシンクロ」が起きやすくなること。
もっともっと感覚的に振って行けば大きな変化が起き、より望ましい結果が導かれること。
すでに多くの場面で体感しているはずです。


御神木に頭(こうべ)を垂れ感謝を奉る。
すると意識せず(現地ではまったく見えていなかった)とも美しい光が記録されてゆきます。
単に目が悪いため見えていなかったとも言えます。それが事実でしょう。

太陽の向きとレンズの位置関係で発生する事象であることは、自分自身が一番よく理解しています。それにこの結果をもって騒ぎ立てる意図も皆無です。
ただ、この瞬間の心に合致した周波数が、この結果を生み出すという視点も大切にしたいと感じるわけです。

もっともっと感覚的に振ってゆく。
この先の世の歩き方として大切な観点ではないかと思われます。




自分で創り自分で歩むのです

竹林に photo 宮本章光

くるくる詐欺に、隕石大津波世界滅亡詐欺。
いつまでもいつまでも。一つの期日を越えればまた次々と。永遠に。

はっきりしているのは、
そうやって扇動して儲ける人たちが存在していること。
そして、そこで踊らされ騙される人たちが、そこにエネルギーを供給しているということ。

裏側の構図では、
こうした、人の心をもて遊び故意に仕組んで臣民を隷属化してきた歴史があったこと。
ええ、その意味では仕組まれた災禍が隠されているリスクはあるかもしれません。
しかし、そこに燃料を注がなければ何も起きません。
騒いでも叫んでも、目の前の風景は何も変わりません。どこの誰が燃料を注いでいるのでしょうか。
しっかりと学んだはずなのに。
ですので、ここで止めます。

他方、
どこかの大統領令で大金が手に入る。わくわくして待ちましょう。
だとか。
あるいは高次他星系存在が救世主として現れる。わくわくして待ちましょう。
果ては、再臨の日が訪れる、などと。
どれもこれも、いつまでもいつまでも。

違いますでしょう。
わたしたちの喫緊の目標は貨幣経済から卒業すること。そのためには上記と同じ仕組みに基づいて、わたしたち自身がそこに燃料を注ぐのです。
望ましい世界線が具現化するように、そちらの方向へ、そのポイントへ向けて「燃料を注ぐ」わけです。

誰かが助けに来てくれるのではないこと。
自分の心が生み出す仕組みを最大限に使い、わたしたち自身が新たな世に相応しい周波数を生み出すことによってこの地を卒業してゆくのです。
白馬の王子様も救世主も来ませんよ。というその意味を「物質次元的」には理解していても、精神的にエネルギーを高揚させて周波数を変えてゆく。という部分がまったく理解できていないのではありませんか。


地に足をつけて。と語られます。
ふわふわと浮ついておらずにしっかりと、と。
その意味を、上記のように「物質次元的」に理解していても、本心から理解できていないように感じること多々。

グラウンディングが大切だ。と。その意味が本当に理解できているでしょうか。
地面を素足で歩けばそれが叶うのではありません。
それも一つの方法としては有効であることに違いありません。それは確かでしょう。
けれど、
同じように「物理実体物質的」な感覚でしか捉えていないことがはっきりと判ります。

天から降り注ぐ望ましい力を、自分の体を通して大地の中心まで導き通すのです。
その感覚は、単に土の上を歩けば目的が叶う、という次元をはるかに超越していることが伝わりますでしょうか。
特定周波数のエネルギーが流れる感覚を感じていますでしょうか。


物理物質次元を超える。とはこういう意味なのですが、なかなか伝わらないことが多いのです。
そんなもの妄想に過ぎない。と蔑みます。
いえ、そもそもこの地この世が妄想なのですよ、という部分が理解できていないのですから、結局は「物理実体・物理物質次元的」オンリーな感覚でしか捉えられないのでしょう。

これらをすべて統合して、「エネルギー的に」望ましい道を創造してゆきます。
わたしたち一人ひとりが、このように心から望ましいエネルギーを生み出し続けることによってのみ、道は切り拓かれます。
もちろん、それを実現させるだけの総合力が、必要とされるだけの閾値を超えなければなりません。
いま、かなり高まってきていることはわかります。
よって、もっともっと高揚させる必要があります。
結果として、そのエネルギーが必要十分なレベルにまで充填された時点で、携挙あるいはそれに近いような想像を超えたシフトが現実となるのではと思われます。

それは、救いが勝手に天からやってくるのではありません。
特定宗教を信ずることによって自分だけが救われるなどという、支配・隷属化のために悪用された教義とはまったく違うことを理解せねばなりません。

わたしたちが心の底から生み出したエネルギーの集合体によって、それが生み出され創り出されるといった重要なエネルギーと具現化の仕組みを抜きにしては語れません。
わたしたち自身が創り出すのです。わたしたち自身が生み出すのです。
勘違いのありませんよう。

この先の道は、
自分で創り自分で歩むのです。




言靈を大切にする・ただひとつの選択

言葉を大切に photo 宮本章光

すべての存在は、例外なく固有の周波数を持ったエネルギーであること。

その意味を本当に理解したのなら、
うわべだけの美辞麗句で飾り立てて心にない言葉を発することのありませんよう。


それは、どちらの意味においても。
綺麗ごとだけを掲げて、心ではあっかんべー...とやる。
もう一方では、
本心にないながら、負の波動に満ちた言葉を不用意に口にする。

言葉の奥に込められたエネルギーは、もはやストレートに伝わるフェーズに入っています。
まして、そのエキスパートであろうとするこの国ネイティブであるのなら。

前者は、その因果・その反作用が時差を経て自らに還るだけのこと。
後者は、日々・終始触れ続ける周波数が劣悪でありその負のエネルギーに憑依され乗っ取られていることに氣づいていない状態かと。

ともに、因果は自分に還る。それが仕組み。
しかしながら、
因果が返るから言葉に氣をつけるのではなく。
それは前者と同じ。うわべだけ綺麗ごとで着飾った状態。
よき結果を得たいがために行動を変えるのは、まさしく人を見て人によって態度を変える人たちと同類でしょう。


言靈を大切にする。
この、たった一つのことを守るだけで、一日後から・一週間後から・一ヶ月後には目に見えて状況が変化してゆきます。
大切にできないのであれば、
終始触れ続けるノイズの波長が、この先にはふさわしくない周波数であるとの証明でもあります。
だからオールドメディアから離れてきました。

常々書き続けています。
自然に湧き上がり、とどめることができなくなる。その状況を。と。
言靈を大切にする。
ただひとつの選択。




自分で感じるまま感じる通りに

そのまま photo 宮本章光

写真は最たるもの。
そのように感じます。
自分が撮りたい、と感じたから撮る。
その感覚。と言えば最も近いように思われます。

時間が違えば、日が異なれば、
同じ被写体や同じ場所では撮ることはないかもしれません。


一期一会。
自分の感じるまま。
いい加減な、という意味ではなく。
テキトーという感覚でもなく。

それこそが、その瞬間瞬間の周波数に合致している証だと。
逆に合致しないのなら、それは違和感として感じることになります。

わたしたちの心は、極めて精巧な判定機としての機能を備えています。
多くの人たちが、その判定機能を復活させつつあるようです。
その閾値、臨界点は、まもなく超える瞬間を迎えるのではないでしょうか。

空に「しるし」が表出する機会が増えています。
くだらないノイズではなく、響く周波数にこそ答えがあります。
自分の感じるまま。
自分が感じる通りに、この先が創り出されてゆきます。




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