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宮本章光/陽の視点 -- And EM Official Blog

みやもとあきらのしてん AKIRA MIYAMOTO@And EM

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異なるエネルギーは抵抗を生じ摩擦を起こすもの

空を見上げてごらん photo 宮本章光

フォーカス先を選んでいますか?
意識する対象を選択していますか?


異なる周波数のエネルギーは衝突し摩擦を発生します。
そういうものだ、と頭の中では理解できているはずです。
ところが、
いざ目の前にその抵抗と摩擦が生まれてくると、途端に一点集中、そのピンポイントのエネルギーにフォーカスしてしまいます。まるで磁石に吸い寄せられるかのごとく、ちょっとやそっとでは離れられません。
もがけばもがくほどに、更に強力に捉えられ、決して逃げ出すことができなくなります。
同時に、
その波長にフォーカスを絞れば絞るほど、同じエネルギーに「同化」し「増幅」し続けます。
自ら作り出したエネルギーは、正の方向であれ負の方向であれ、目に見えないフィールド:幽界にエネルギー波動として間違いなく生み出してしまう。そういう仕組みなのです。
この至極当然のプロセスを忘れませんように。

そのプロセス・エンタメを楽しむ場所。この地球。
自分から希望し手を挙げてやってきたわたしたち。

望まないエネルギーに同期すれば、永遠にそのエネルギーを自分自身が作り続けます。
ですから、望むエネルギーにチューニング先を合わせることです。
もう、望む波長を能動的に選べる人たちが飛躍的に増えている様子が見て取れるようになりました。


フォーカス先を選んでいますか?
意識する対象を選択していますか?






誉め誉め称えよ

どうやってこの色を作り出したのだろう photo 宮本章光

どうやって「この色」を作り出したのでしょう?
どうやって「この色」を生み出すのでしょう?

土中にそんな色素が存在するとは思えませんし。
まして、雨にも水道水にも同様に。


彼らに聞いてみたら、きっとこう答えるでしょう。
「自分で生み出すんです・創り出すのですよ」と。

残念ながら、いまのわたしには、彼らとコミュニケーションを図ることは難しいようで、データパケットのようにドーンとメッセージが一瞬で送り込まれてくるような感覚はありません。
現在、波長が異なるのだろうという証明でもあります。


自分で生み出す。
それができることを知っていれば、如何様にも作り出すことができるはずです。
彼らは能動的に動くことはありません。ですが、特定波長のエネルギーによって互いがコミュニケーションをとっていることは種々研究からも明らかでしょう。
そして、互いにその美しさを誉め称えているはずです。


現在、ちょうど時期的には"Joy to the World(もろびとこぞりて)"が聞こえてくるタイミングかもしれません。
歌詞中では「ほめたたえよ」が繰り返されます。
立派さやすばらしさをほめること。いかに素晴らしいかを言葉を尽くして述べること。と訳されますが、そのイベント自体は、決して望ましくない裏側があったことを知った上で、この年には預言(予言:当てモンではない)が現実・顕現化する可能性を強く感じます。
但し、
その顕現化は、わたしたちの集合意識が実現させていることを忘れずに。

はい、自分たち人間がその通りに生み出している。と知ること。これこそがこの地で学ぶべき最後の教材ではないかと思うのです。
---美しい色彩感を顕現化させる(できる)ことを自分自身で知っている植物たち。
---預言の通りに「間違いなく現実になる」などと、わたしたち自身が意識できない(学んでいない)まま「顕現化・現実化」させている人間と。

後者は、自分たちでそれを行っていることを認識していない時点で、この世の最終教材を学び終えていないアラートが点滅しているはず。
学び終えてアラートをOffにするのは、これもまた自分たちの心からなのです。わたしたち人間の集合意識として生み出すエネルギーによって。
植物も人間も、
ともに素晴らしいクリエイターであること、褒め称えるのは、いまこのタイミングこそ。







通じる人に届けばそれでよい

ひとつの仲間存在として photo 宮本章光

みかんを口にする「手・指」が、右手なのか左手なのかによって、味が違うように感じる。
以前に、そういった感覚を記したことがあります。

当時連携していたSNS上では「へぇ!今度試してみます。」
とコメントはいただきましたが、その言葉からは、返信することやいいね!を押すことそのものだけにしか意識がないSNS的心の波動がしっかり伝わってきました。
実際、試されることはなかっただろうと容易に想像でき、その後はなしのつぶて。
そして、別の記事でいいね!返し...だとかやってる姿。
それが良いかよくないか、ではなくて、自分にとってはもう必要ない世界だと。

これらの反応が、如何にも物質次元的といいますか、物質至上の世の落とし物だと感じてしまいます。
人の反応を氣にする。数を氣にする。
それらは、もはや過去のものとなったはずです。
いまだによい子ちゃんアピールや数を追いかける姿には嫌悪感さえ感じる。これが正直なところ。

少し視点を変えてみても同じでしょう。
みかんには豊富な栄養素が含まれている。だとか、一日に必要な何々の栄養分としては何々ミリグラムだ、だとか。
これらの感覚こそ、物質至上な世の中の最たるもの。
但し書き。それらに意味がないということではありません。その感覚の属するフィールドの違いを語っています。


わたしが伝えたかったのは、エネルギーを感じる感覚についてその感触を共有できる人が自分以外に存在していれば嬉しい。ともにその感覚を感じられれば楽しい。という単純なもの。
これからの世は、そのように響き合う感覚を楽しむ世界ではないかと思われます。

実際、果実のトーラス構造にはエネルギーの流れが存在することは間違いないでしょう。
そしてその流れが反対になれば、その感触は変わってしかるべきだと思われます。
枝の根元側を上にしているのか、花の咲いた側を上にしているのか。その差があるに違いないのです。

まずは、果実側にそうした真逆のフローがあることを感じてみる。
そして、
右手右指なのか左手左指なのかの違いは、自らの体そのものが持つエネルギーの流れもあるでしょう。
このような感覚・感触を「感じてみようとしてみれば」実際に感じられる。そんな時代に突入していることがわかります。


過去、これを「氣のせい=思い過ごし」といった言葉によって、その感覚をスポイルされてきました。
耳タコで失礼申します。
「氣のせい」とは、氣というエネルギー存在による影響や変化がそこにありますよ。ということを示している、この国の貴重な言霊。

そして、この果実たちが持つ力(エネルギー波動)に合わせてみようと試行してみますと...。
すると、太陽から齎される膨大な力の流れを「感じられるようにする」あなたの体にアドオンするプラグインのような働きをしますよ。というメッセージさえ受け取る瞬間が出てきます(個人的感覚:明確な言葉ではありません=感じるものです)。

果実(植物)は、食べてもらって出世(魂の成長を実現)するのだと語られています。
その対価として、人にはエネルギーを与える。そして、受け取り側(食する人間側)が望めば、こうした膨大なエネルギーにさえ触れることが可能になる。そんな世界が「すでに」ここにあります。


こうした目に見えない世界を無きものとし、そのフィールドにつながることによる覚醒を阻止されてきた歴史。
ばかばかしい!と思うでしょうか。
そんなことあるわけない!と仰るでしょうか。
そう捉えること、それ自体がご自身の選択した道ですから、良いもよくないもありません。それがあなたの感覚。
もう判断は必要ない。という感覚。
これをジャッジしない、と呼ぶはずなのです。両極で存在する、正と負の片側を見て見ぬふりをすることではありません。ここを間違えることのありませんよう。


同じ波長だけが合致する、同じ周波数だけがシンクロする法則。

嫌悪感さえ感じる旧いプラットフォームから離れ、こうした波動エネルギーに触れる体験を重ねてゆく。
その行為自体が自らのセンサーを磨き上げてゆきます。それが行動する、ということではないかと感じます。
そして、
拡大を続け精神性を高めてゆくことが、成長のプロセスであり間違いのない方向だと実感する瞬間です。
通じる人にだけ伝わればそれでよい。ともに歩むことができる方々へ。






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