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宮本章光/陽の視点 -- And EM Official Blog

みやもとあきらのしてん AKIRA MIYAMOTO@And EM

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歯車は止まった瞬間に鉄クズ

文字の通りです。

歯車は、そのシステムを稼働させるための部品の一つ。
システム自体が停止すれば、歯車の回転は止まり、ただの鉄の塊に成り下がります。
今、
社会全体のシステムが「入れ替わっている」状態である点は理解できるはずです。
そのシステムの下で動いている機械が必要とされなくなった時点で、その機械はスクラップ。
これが現実です。

まして、カスタマイズされ尽くした機械が他に転用できるはずはなく、さらには「一パーツに過ぎない歯車ひとつ」は、再度溶かして精製し、鉄として(あるいは分離して素材別に)再利用するしかない。
ということなのです。

いざ、システム変更決定。となった後では、
「この機械、使い道はありませんか?」と打診する市場さえも消滅しています。
その期に及んで、パーツにしか過ぎない一個の歯車の使い道があるはずもなく...。


再利用のための溶解・分離には時間とエネルギーが必要です。
「歯車として生きる道」に身をおいている方々、自分から溶解し新たな使い道を模索し始めている姿もチラホラ聞こえるようになりました。大変頼もしく見えます。
しかしながら、
決して全てとは言いませんが、歯車として生きる道を選択している方々が、nearly equal:羊として生きる道の人たち。であることも多く、ガラス窓の向こう側の冷暖房完備な部屋で眠り続けているようです...。


---8月31日の夜になってから夏休みの宿題を泣きながらやる。
---大晦日になってから大掃除をする。
---会議の前日になってから資料を作る...。

同じ感覚では、今回の大波を乗りこなすことは難しいように見えます。

わたしは、
「この会社で学ぶことは無くなりました宣言」をしたのが、37歳の夏でした。
その後の茨の道は激しく困難を極めました。ですが、全ては無駄ではなかったこと、全てが「今」に繋がっていることを感じています。


【参考・関連アーカイブ】別windowで開きます
ガラス仕切りの部屋[Link]
羊として生きる道[Link]

口に入れるものを選ぶ大切さ

もう、何度耳にしたことでしょうか。

--「そんなバカなことがあるかい」
--「そんなことができるわけがない」

ほぼ今年の9か月間すべて、何度も何度も繰り返されてきた言葉です。



食べ物に関ししっかりと関心・意識を持たねば体を壊す。
それは、添加物の影響だけではなく、大々的に日本人の命を狙っているといった背景があるのだから...。

すると、「そんなバカなことがあるかい」とレスポンス。


政府は国民を守りませんよ。
いままで散々経験してきていますでしょう?
自分で守るその第一歩は、食の安全からです...。特別に意識しなければ、デフォルトで「危ない」のが現在の世の中ですよ。

すると、「そんなことができるわけがない」と返ります。


食べ物だけではなく、
今年2020年初から、さまざまな事項・事象で、すべて同じ反応でした。
とにかく、
そんなことができるわけがない...。そんなバカなことがあるかい...。
と、オウム返しの言葉しか聞こえてきませんでした。


こちらでご縁のあります皆様には、もう十分だと思います。
すでにVirus祭りも終わりました。
羊として生きる人たちは、ガラス窓の向こう側の部屋に「みえているだけ」です。



しっかりと心を平穏に維持できたなら、次は口にするものについて意識する必要があります。
何より、
「直観・勘」を信頼する時点での安定性と正当性に関わります。
そして、
ソーラーフラッシュ時には、体内の「重金属」に反応してしまう。との論説もあります。
体内の金属に反応して発火する可能性もゼロではない、とのこと。
容易に理解できます。
(これ、お分かりですね?:「五人の爺さん」の○人手段テクノロジーと同じ原理でしょうか。)


金属なんて食べていない?でしょう。
ところが...なのです。

社会情勢に対する真実探しの旅を終えたのなら、次は「食」にフォーカスされてはいかがでしょうか。

ソーラーフラッシュがいつに起きるのか?
これを探し回るより、「よろしくない食べ物」を口にしないことのほうが重要度が高いように感じます。
怖いのは、蓄積されること。
完全無欠なものがない以上、排せつ排出にも意識が必要かもしれません。

自然の力に肖り心を平和・平穏に

ノイズが激しく多い時期に入っている。と語られています。

今こそ「自分に」必要な情報と、そうでない情報を選択するスキルが求められています。
スルー検定1級の勲章は、こんな時に使うもの。

必要か必要でないか?は、人それぞれ。
他人の価値観に自分を合わせる必要など初めからないはずなのです。
しっかりと地に足がついていないと、大きな他人の波に拐われて自分の意識が曖昧になります。
この状態を放置、流されるままにしておくと、いずれ難民になってしまいます。

地に足をつける。
とは、自分の意識を確立すること。
自分の内側にしっかりとしたものが確立できていれば、他人の「波」を被ったとしても、そうなんだね...と流すことができます。


不安定な状況、不快なスパイラルに陥ったならば、
自然に身を置くことでオールルセットできることも多いように思います。

なぜなら、
自然の中に存在する生き物は、植物であれ動物であれ、人の波に拐われて自分を見失うことなどないはずだから。
です。
そこにある氣によって、他人の「波」による潮を洗い流すことです。
そこにある氣は、曇ってしまった「自分の眼」も綺麗に洗う力を持っているようです。

この突き出した二つの眼(触覚)で、しっかりと周囲を認識する、その力に肖る(あやかる)ことです。
この絵に内在するパワーをご自身で吸い上げてください。

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