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宮本章光/陽の視点 -- And EM Official Blog

みやもとあきらのしてん AKIRA MIYAMOTO@And EM

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ゴミ屋敷を掃除する

心の中からクリーンに仕上げる photo 宮本章光

先般の記事、
【モノを捨てるのも確かにひとつの方法ではありますが】2024/12/07[Link]

のように、この地・この地球を散々痛めつけ、取り返しのつかないほどにまで破壊し尽くしてきたのは、わたしたち地球人。
まるでゴミ屋敷の如く溜め込んだ「負の因果」。

わくわくして待っていても、救世主は「掃除」をしてくれません。
白馬の王子は出現しないように思われますが、代わりに預言に記された「再臨」はあるかもしれません。
それは、
記された預言を「100パーセント信じ切っている」わたしたちの集合意識がそのように創り上げるからです。
白馬と数多くの駱駝に乗って現れるのか、雲が割れ空に溢れる存在が出現するのか。

けれども、それとて大掃除をするためにやってくる訳ではないこと。勘違いしたくないものです。
自分でゴミ屋敷にしてしまった以上、自分で大掃除しなければなりません。
では、
どのようにしてクリーンにしてゆきましょう?

その答えは上記の通り。
100パーセント信じ切っている限り、100パーセントそのように顕現化する。
大いなる仕組み。

「心から顕現化」させる。
心に描くもの・抱くものに合致した周波数・エネルギーが、それに相応しい現実という風景を作り上げてゆきます。
当然、魔法使いのようにエィっと指差せばクリーンになるわけではないでしょうが、常に望ましい風景を描き続ける限り、時差を経てその通りに現実となってゆきます。
ええ、当然、体を使って役務を果たす人たちがあり、その役目を全うしプロセスが進んで行きます。
これらの進捗に対し、望ましい波動で包み込み、望ましい念を生み出し具現化させるのは、わたしたち一人ひとりの担当部分。

ここまでの教材を学び終えた人たちが、その波長に相応しい世界へと移行してゆきます。
これこそが、隷属化され支配された世界から「自分の意識」によって、能動的に脱出することになるのではないでしょうか。





終末の時期に生きる者の役目

美しく飾り付け photo 宮本章光

あれは向こう側、これはワルモノ。
それは悪魔崇拝、これは悪。

それらが溢れる場所、この地球。
そうしたエネルギーに支配されていた(現在もまだ継続)のですから当然でしょう。


そんな裏側の負の力に意識を操られている限り、その世界からは脱出できないのではないでしょうか。
自らの意識に対しては、完全無防備。
そんな地球人。
思考は操られ、憑依され、いつまでも恐怖の力に貪られる。

ですから、
裏側がどうであれ「この先に望む」エネルギーを自分から描き出さない限り、目の前の風景は変わらないわけでして。

それならば、何を描きましょうか。
では、何を顕現化させてゆきましょうか。

それはワルモノ、これは悪...。
とやるのではなく、美しく飾り付けしていただいた方々に労いの意識を送り、そこに盛り付けられた作品に立派な姿を披露してくれた感謝を伝える。

その意識と心の波動が、少しづつシフトしてゆき、願い望む世界を形作ってゆきます。
その大いなる仕組みを知り、体現してゆくこと。
それが、終末の時期に生きる者の役目だと。






モノを捨てるのも確かにひとつの方法ではありますが

in front of Muza photo 宮本章光

「浄化。」
この言葉を、多くの方々が語るようになりました。
その言葉の通り、多くの人たちが実践するようになりました。
よい方向に進んでいることがわかります。

台風を上陸させてしまうような力を自分から生み出したり、地震を自分自身で強大に増幅してしまう力を生み出してしまう、だとか。
もう、そんな負のエネルギーに同化し油を注ぐような行動(それは心に抱く恐怖に根ざした負の念を生み出す力)をする人たちが減少した証として、現実という風景がそれを証明するようになってきました。

負の念を溜め込んだモノを整理するのは一つの手段に違いありません。
断捨離はひとつの方法であることを否定するものではありません。
けれど、
それはまず取っ掛かりのステップであり、その先・その後に取り組む大切なことが残っているのだと再度確認したく。

モノを捨てたから。
不要物を手放したから。
それで終わり...ではないのです。


心の手綱(たずな)を自由自在に操ることができるように。
不要で望まない、故意に仕組まれたエネルギーにフォーカスし、強力な磁石に吸い寄せられたかの如くそのまま離れられなくなることのないように。

心の波動を上げる。
とは、どういう意味だったでしょうか?
わくわくすること?
ええ、それは客観視点では、高い波動を維持しましょうという意味で間違ってはいません。
けれど、イライラを溜め込んだまま、それを見て見ぬふりをし蓋をして、わくわくしましょう。ではないはずなのです。

ここ。間違った方向に進むと、そのエネルギーは他人にすぐ伝わります。
---嫌なことばかり起きるんだけど、わくわくして待ちましょう。
---嫌いなこと嫌なことが山積してるけど、わくわくして乗り越えましょう。
ってな波動は、見事にバレます。

ここが変だよ。というのです。盛大に違和感が伝わってきます。
モノの感覚から心の感覚への移行ができていません。
first stepを終えていないのに、second stepへゆくことはできません。

嫌なことばかりが起きるのは、それが起きるべくして起きるようなエネルギーを初めに自分が生み出したから。
あるいは、過去因果を解消するためにニュートラルに戻そうとして発生している。その仕組みを知ることが不可欠でしょう。
ここを理解したのなら、
「負のエネルギーを解消してくれてありがとう」という感謝に至るはずなのです。

嫌なことばかりあるけど、わくわく「しなければならない」から、と、蓋をしてしまい放置していては、いつまでも解消できないわけで。
心の世界を語っているかに見えて、実は、目の前に現実化、結晶化・物質化したモノに対しては放置したまま。
(物質化したモノは過去想念の生成物・結果だから放置しておけばよい、との論説もありますが、それは望ましくないエネルギーにフォーカスする愚を戒めたものであり、この地球をゴミの山にし取り返しのつかない状態に近いところまで追い込んでしまった責任はわたしたち人間にあり、わたしたち自身にしか浄化できないことを忘れてはなりません。少なくともゴミ屋敷にした限りは、その清掃の責任を取らなければなりません。)
まずは、そこから。
だから、断捨離はその第一歩であり、正しいスタートではあります。

この次には、
上記のように、負のエネルギーを解消してくれてありがとう、の感謝の心に到達できるかどうか。
そして、
幸せとは、そう感じる心の状態である。という大原則で語られるそのままに「心のありよう」を自ら高めてゆくこと。
高めてゆければ、自然とわくわくしますし、自動的に感謝が溢れ出します。

このようにして、負の念を、心の中から追い出してゆきます。
モノを捨てるだけでは次のステップへは進めないのです。
それが、浄化の本質ではないかなと感じるわけです。






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