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宮本章光/陽の視点 -- And EM Official Blog

みやもとあきらのしてん AKIRA MIYAMOTO@And EM

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資本主義経済崩壊のその先を見る

「バブル経済」。
この言葉を聞いて、1986年頃~1990年頃のイメージを思い浮かべることができる方は、すでに中堅以降の世代になったようです。
実体以上に急激に膨れ上がる状態...、という意味では、いまの株式市場なども現在進行中かもしれません。

昭和の終わりから平成初期にかけての日本、世の中がまさにバブル経済に沸きました。
会社の接待交際費が、ひとつの部署ひとつの課だけで7桁超えが当たり前、そんな時代でした。
何をやってもOK! 常に後から後から数字が上回り実績が自動的に作られるかのように感じる時期でした。
(わたし自身も企業に籍を置き、その7桁の部署に居ました。)

この時期、
「いずれ限界が来て崩壊するだろう。」と、冷静に判断する瞬間もありました。
崩壊したらどうする?給与は?雇用は?
でも、
目先の数字がどんどん右肩上がりに積み重なるので、そんなもの杞憂に過ぎないぜ!というノリで日々を過ごしたのです。
そして、来るべくしてバブル崩壊。

しかし、数字のマジックという悪知恵により、見た目だけを取り繕い、更に捏造と虚栄を作り出し、悪事の上塗りを重ねてきたのはご存知の通り。


いつかは反動がやってくる。
絶頂期にはそのことを考えようとしませんし、考える行為自体が「ダメなネガティブ発想」とさえ言われたのです。
しかし、必ず反動はやってきます。
実際やってきました。

現在、
昭和-平成バブル経済をご存知ない世代にとってみても、この2020年の状況・経緯を考えると「間違いなく経済崩壊」してしまうことは火を見るより明らかでしょう。
いえ、もうすでに崩壊していることは何度も綴ってきました。

また、
---いやいや崩壊させるのが目的でしょ!
---それが今の世の中なんだからさぁ!
と、軽やかに口にすることが流行っているのでしょうか?
月次の給与が減らない人たちの間で、このような会話が流れるのを見る機会がありました。


大きな、それも超弩級の宇宙規模の流れがやってきていることを知っていれば、そんな軽い会話を口にすることは難しいはずなのですが、ま、人それぞれですのでこれ以上は触りません。


人間、その瞬間になってみないと気がつきません。
もっと言えば、命に危険が及ばない限り実感しないのです。
ソーラーフラッシュの検索が激増しているように、これから先、しかもカウントできるほどに近未来の発生が語られています。
どうあがいても避けられないのならどうするのか?
黙って死を迎えるだけですか?


覚醒した人は、もう魂の行き先を「自分の意志」により決定しています。
そして、そのための準備さえも、まだセミの合唱が元気な時期、いえ、もっと何年も前から整えてきています。
この言葉の意味が理解できない方々もあるでしょう。
大変失礼ながら、そして大変残念ながら、そうした方々とはこれから先に住む星は異なるはずです。

自分の行き先は自分で決めるものではないでしょうか。
すでにレイヤーは分岐し、体験する世界が変わりつつあることを実感しています。
分岐したレイヤーは二度と元に戻ることはありません。

このままでは経済破綻すると?

あちらこちらで声が聞こえ始めました。
「このままでは経済破綻してしまう。」と。

もうとっくに破綻しています。
そして、政府も国家もとうの昔に破滅しています。
何をいまさら言うか...です。今まで何をなさっていたのでしょう。

多くの人たち(わたしも含め)事業が吹っ飛んでしまってもひたすら耐え、新たな模索を続けているわけです。
そして、ネガティブイメージに偏らないよう、さまざまな努力もし、眠り続ける人たちへ真実を伝えるべく努力も重ねているはずです。
そして、今はもう、新地球へ向けて準備を進めている人たちも多数いらっしゃるはず...。


毎月給料は減らない。趣味で楽しく。そのうち世の中変わるさ。
果ては、
この2020年9月に至っても「感染者数」を追い、マスク警察を誇りに感じている輩。
茹でガエル理論そのものでしょう。


でも、きっと気づく瞬間がくるのだ。と各所で語られています。
目が覚めるのが早かったか遅いか。それだけの違いです。と。

分断すれば悪の権力者の思うツボ。みんなひとつなんだ。と。
確かに仰る通り。その通りだと思います。
ただ、
彼らの言動にフォーカスしてしまいますと、まだまだ完成には遠い未熟なこちらの魂は、一気に波動を下げることになってしまうのです。

せめて、
今世の貨幣経済をベースとした経済社会がもう機能せず崩壊しており、次は精神社会である。
といった程度のイメージは理解できる「基礎知識・基礎体力」は確保していただきたいものだ、と思うのです。


こちらは、そこにフォーカスするからそうした現実が目に入るわけで、他者を排除し内面を磨くことでイメージが作り出されないようにすれば良い。
ここまでは理解し実践を重ねています。
ですが、
それでは、人類全体の底上げができないわけで、いつまでも無限ループに陥ったまま。

リリース・手放しを繰り返す日々も永遠のループなのでしょうか。
ノイズを排除する。意識を・波長を合わせない。
結局は、これしか道はないのでしょうか。
みんな一緒に...は、結局は洗脳のひとつに過ぎなかったのでしょうか。

情報が正しいか早いかは関係ない

常に語られる言葉。

--その情報は正しいか。
--その情報は新しいか。
--その情報の裏付けはあるのか。


得ようとしている(あるいは既に得た)情報に対して、これらの項目に関し精査することは無駄ではありませんし必要なプロセスだと思います。

その目的が、業務に活用する、会議に資料とする...。
といった目的であれば、正確性・鮮度など、価値が下がる可能性・あるいは誤った判断の原因となるポイントは徹底的に排除しなければなりません。



いま考えてみたいのは、これらの範囲ではなく、
「その情報によって」プライベートな範疇で、何かを判断する・行動の基準とする。
といったケースです。

どれだけ新しい情報であっても、
どれだけ信頼性が高い情報であっても、
「自身のテンションを下げる」情報は取り入れるべきではないと思うのです。


そんなビギナー向けの話はいらねぇ。
と仰る方も多いと思います。
ですが、
現実には、テンションを下げる=心の波動を下げる情報ほど多く溢れかえっています。
そして、
それらは止まることなく身の回りを流れて行きます。

むしろ、情報とはそうした内容ばかりであることに気づく必要はないのでしょうか。



特定権力者が民衆を奴隷化・家畜化する、というこの世界の現実について、それは考えられない・嘘だ、との発言をなさる方はもう無いものと思います。
一握りの支配層が放つ情報、それは特にマスメディアに顕著ですが、今はwebにも、そしてSNSにまでもプロパガンダ思想の情報が溢れかえっています。


これらに触れると、極端に意識のレベル・心の波動が下がります。
その結果、
望ましくないタイムラインが実現してしまうわけです。



昨日の記事の例えである「ABS作動時のペダルキックバック」のように、ネガティブレスポンスが自らの心から返ってきたのであれば、可能な限り速やかに「その情報」から離れる・捨てる。
といったアクションが必要だと感じます。
そして、
学習したのであれば、今後はそうした媒体に近づかない。



ここでは、
その情報の信頼性が高いから、その情報は最新だから。
という項目は必要ないのです。


企業人としての立場で考える「情報」の価値と、
個人レベルで触れる「情報」の判断基準は、まったく正反対である可能性が高いかもしれません。

個人で触れる情報は、
「正しいか早いかは関係なく、心の波動を高めるかどうか。」
に集中すべき時期だと思っています。

その判断こそが、近未来を形づくり決定するのですから。
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