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宮本陽・宮本章光 AKIRA MIYAMOTO@And EM Official Blog

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暗めに撮る?明るめに撮る?

暗めに撮る?明るめに撮る?

いわゆる適正露出は、メーカーの設計思想やカメラの味付けにより、機種・モデルごとに違いが生じる。
入射光式露出計で計測した「その場の明るさ」を適正とするのも一つの考え方。

だが、スマホカメラをはじめとして、一般的には、被写体が存在するその場の明るさを測るといった手段は採れないため、被写体の色や反射率など、様々な条件を勘案して値が決定されるようプログラミングされている。
結果として、Auto露出では安全を担保するために暗めに仕上がることが多い。
更に、反射率の高い白色の面積が多い場合には、賢いカメラはどんどん暗めの露出へシフトし極端に暗くなってしまう。
(最近のカメラは「色」さえも判断するので、真っ白な被写体が全面に存在する場合などには、自動的にプラス補正がかかるモデルも多くなっている。スマホカメラがキレイに撮れる理由は、実はこうした部分が賢いためである。)

これらの仕上がりを改善するために、撮影者が「プラスの露出補正」を行なって「明るく調整」する。
すると、白い被写体がオリジナルのように明るさを取り戻す。
だが、ここで考えなくてはならないことは、Auto露出である限りはデータとして存在し得たハイライト(明るい)部分が、プラス補正をかけることにより「明るすぎる」状態となり飛んでしまうケースが出てくる。このリスクとの戦いになる点。

飛んだ部分はデータが存在していないため、印刷物の場合には「紙の地の白」がそのまま出る。フィルム時代には、ポジのフィルムポリエステルベースそのものの透過状態となってしまい、避けなければならない状態とされた。(=後から何か処理しようとしても、存在していないものは復活できない。)

これらのリスクを避けるために、暗めに撮る、というスタイルがリスクヘッジの手段とされてきた。
それならば、結局、Auto露出で暗めに仕上がっていても良いのではないのか?という話。

ここで判断すべきは、
撮って出し(カメラで生成されたデータをそのまま使う)の場合に、望ましい結果をその時点で出してしまう必要があるのか。
あるいは、
データとしてできる限り多くの情報を残し(飛ばす部分が出てこない)、後工程で様々に調整するプロセスを経るのか。
といった、使途・目的を考えることだと思う。

どちらが正しい、どちらが間違い...。といった二者択一バラエティ番組ではないのだから...。

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新たなご縁に感謝

出張写真研修・セミナー・講演が続く。
今年に入り、いわゆる有名企業・一兆円企業様からのご依頼が増加。大変ありがたく光栄なこと。

出張写真セミナーイメージ

何も考えない...のがイマの主流でしょ。だってスマホが勝手に綺麗に撮ってくれるんだし。
難しいことなんて考えても何も変わらねぇし、そんな面倒なことやってらんねー。

確かにそうした声もあながち間違いではない世の中になってきた。
だが、「伝えるため」には、意図や意思があるはずだし、その結果を導くためのプロセスも必要になる。

講義・授業の進行途上、解説をしながらの比較2枚。
この間10〜15秒間ほど。
iPhone7plus使用。

出張カメラ講座撮影イメージ

もちろん、箸の位置だとか盛り付けに関すること、また更に追い込む必要がある構図など、詰めが必要な部分は数多くある。
webでは、とにかく人を貶すことに喜びを見出す奇妙な趣味の人が増えたが、この講義で学ぶべきことは、そんな部分ではない。

「すごく楽しかった。(ご参加者)」
「参加者の満足度はかなり高かったと思う。(主催者)」
こうしたお声をいただき、拍手で送り出していただくのが何よりもの喜びであり誇りとするところ。

【出張写真教室・カメラ研修セミナー・講演講師派遣】よりお声がけください。新たなご縁に感謝。

暗めに撮る

基本的には、若干暗めに撮るのです。
階調を残す目的で。飛んだ階調は戻りませんので。

但し後処理も必要かもしれません。
人と違った結果が欲しい。とおっしゃるなら、この部分に着目を。

礼儀とバランス感覚

礼儀なんてどうでも良いし、中身があればいい、結果が出ればそれでいい。
といった感覚の人がいらっしゃる。
当然、人ぞれぞれ。

ただ、人と人が面と向かって会話を交わす場合には、最低限のマナーや言葉遣いにも配慮が必要だと思う。
この人は幼少時からしっかりと躾られてきたんだね。と、瞬間に分かるものである。

また、形だけを重んじていても冒頭のように結果が出せなければ生きてゆけない。
このあたりは業務上の駆け引きもあるだろう。
だからこそ、これらのバランス感覚がものを言う。

蓄積され形成された人格は、信頼に結びつく要素としてかなり大きなウエイトを占める。

コンテンツ消費と時間消費

今、世の中の仕組みが「少数の特定インフラ、あるいはサプライヤーと、それを消費する大多数」という図式になり、更に拡大しているように思う。
その図式を俯瞰してみることも必要ではないだろうか。

コンテンツ消費に比例して「時間」も消費してしまうことに気づくと、ビッグデータを蓄積しAIにエサを与える行動にせっせと精を出す、といった自らのアクションに一切の価値を見出せなくなる。

アナログ時計の秒針の動きと、その一秒を刻む音に意識を向けると、一方通行・不可逆な時間の経過と肉体の劣化に背筋が凍る。

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