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宮本陽・宮本章光 AKIRA MIYAMOTO@And EM Official Blog

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階調をコントロールする感覚

photo by AKIRA MIYAMOTO

初めて自転車のペダルを漕いで前に進んだ感覚。
初めてバットでボールを打ち返し飛距離が伸びた気持ちよさ。
初めて乗用車のアクセルを踏み重量のあるクルマが前に進んだ面白さ。
初めてキーボード入力した文字がプリンターから出力された日の驚き...。

人それぞれ、自分の手足の延長線上にある「道具や機器」が、人の能力を超えて動き働いた時の感動があるに違いない。

写真だって、カメラが撮った画像データを自分の感性で調整し、思う通りの結果が導き出せた瞬間の喜びがあると思う。
それは、単に色が変わった、だとか、明るさが変わった。だけでもいい。

この面白さを味わったならば、是非、次は階調の世界に入ってきてほしい。
階調の泥沼へようこそ!

画像処理の食わず嫌い

photo by AKIRA MIYAMOTO

オジさまたちが撮って出し至上かレタッチ最高か...なディベートに明け暮れている間に、若者たちはフィルム回帰しはじめた。

なるほど、スマホ内での強すぎるコントラストと色カブリのフィルターに慣れた人たちには、フィルムのテイストが同一ベクトル上にあるのだろう。そもそも、エフェクトやフィルターがSNS上に投入されたのは、フィルムライクな世界を再現しようとした黎明期のクリエイターの思いや意図がそこに存在していたはず。
フィルムへの関心の高さは、その一つの回答なのかもしれない。

だが、時代はもうひとつの大きな流れを作り上げつつある。
「狭い」階調表現空間に、より肉眼のイメージに近づけた「広く豊富な」階調を残すこと。

狭小センサーは自然界の広すぎる階調を物理的に残せない以上、画像処理でそのイメージに近づける必要がある。食わず嫌いはもうそろそろ卒業しても良い頃ではなかろうか。

背景は後から変える??

コスモスを撮ろう!2016宮本章光撮影
スマホで撮った写真の背景を後処理でボケの大きな絵にする。という。
なるほど。
一眼レフ・大口径単焦点でしか手に入らないようなイメージをスマホで実現するには、2つのレンズと高度な測距技術が必要になるだろう。確かにその技術は素晴らしいと思うし否定するものではない。

しかし、何でも後処理でやりゃいいや!といった感覚が「今すでに蔓延している」状態。
背景を快晴の青空から加工して暗いイメージにしたい。Photoshopの操作はどうすればいい?といった感じの質問が増えている。
もちろん、それはアプリケーションの操作を習得する意図では良いのかもしれないし、商業ベースで必要になるテクニックとしても有用だと思う。

撮影とは、その日あるいは翌日のコース料理を決める料理長が食材を仕入れる行為。どのような料理を提供するかを考えて必要な材料を準備するはずだ。
当然、天候の具合や不可避な事情により入手可能な材料だけで仕上げなければならない場合もあろう。

撮影時点で「頭を使う」のをやめてしまうと撮影の楽しさが半減してしまう。撮影時点で色々と考えて自分の望む結果を導くアクションにこそ楽しさがあるはずなのだが...。

結局のところ、撮影時点で青空とともに暗いイメージの背景も撮影しておけばそれで済んだ話。かもしれない。
料理人だったなら、必要な食材を手に入れられない時点でアウトだろう。


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ハヤリだから?

photo by AKIRA MIYAMOTO

「シャドウを潰し、ハイライトを飛ばす。」
暗い部分は何もデータが存在しないレベルにまで潰してしまい、明るい部分にも同じくデータが存在していない...。
ヒストグラムを見ると、見事なまでに中間部にデータが存在せず両端に角が立っている状態。

なぜあなたはそんな処理をするのか?と問えば、

なんとなく今の流行りだから?
と、回答自体に自信がない様子。

こうして、平成のある一定の時期だけ奇妙な写真がアーカイブされてゆく。


こんな話もある。
「アナログレコードから音楽CDに移行し始めた時代、その後しばらくは、貴重な演奏記録がCDフォーマット以上のクオリティでは保存されていない。」

デジタル化した時点で、さらに高精細、より高解像度で記録を残す重要性に意識が至らなかった。ということらしい。
ハイレゾを語る2016年に生きる我々は、より高解像度、より高ダイナミックレンジなアーカイブを残す重要性を認識している。

私たちには、過去から脈々と刻み続ける歴史の一部を担い、この時代を記録し残す責務があるはずだ。

こうして、平成のある一定の時期だけ奇妙な写真がアーカイブされてしまった。
と後世の人は語るのかもしれない。

伝えるための画像処理

photo by AKIRA MIYAMOTO

撮影は画像処理とセットで考える時代。
そう言い続けて10年を越えた。

過去に生録(自然音などが特に顕著)の世界でも、とにかく触らないことが最高、といった主張は強かった。音の世界では、収録機器の特性によってそもそも特性自体がフラットにならないことが多く、またフラットな特性を実現しても、人間が受け取る感覚と機器の特性とは乖離している部分が多い。

放送される映像に関しても、狭いダイナミックレンジの中に豊富な階調を再現できるよう技術革新が重ねられてきた。HDRの最前線は広大な明暗差を表現すべく進化し続けている。

静止画像データにも似たところがあり、データ上でどれだけニュートラルにチューニングしてみても、人間が感じる記憶色や希望色といった特性とは大きく異なっていることが多い。

だからこそ、撮ったままのデータではなく「自分が伝えたい絵に自分の意思」で仕上げる。
といった考え方に基づいたプロセスが必要になる。
フィルター遊びではなく、それは「伝えるための画像処理」なのだが...。
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