
流行る店、そうでない店...。
感じの良い施設、そうではない施設...。
何が違うのだろうか?
小学校のときに「相手の立場に立って考える」という言葉を学んだ。
お互いが心地よく仕事ができる環境を考える。
お互いがスムーズに進行できる配慮を忘れない。
双方が共に良い結果を出せるようなアクションが必要なのだと思う。
もちろん、ビジネスである以上は売上確保や利益追求を抜きにはできないが、忘れてはならない配慮と感謝の心に結果はついてくるものなのだろう。
数多くの見積依頼やお問い合わせをいただく。
スケジュール確保が必要なので「可否の回答」を必ずいただきたいとお願いをするが、受注にならない場合の大半は、何の連絡もない。
それは見積というプロセスにおいては何ら問題ではないのだが、相手の立場で考える配慮ができない人が選択した結果は、果たして本当に良いものになるのだろうか?
結果には必ず原因があるはずだ。
人の振り見て我が振り直せ、という教訓。
盛衰の分かれ目はこんなところにあるのかもしれない。

webに写真が溢れている。
ケイタイにカメラが搭載されて久しい。今はスマホカメラも秀逸な絵をアウトプットしてくる。
だから、誰でもどこでも簡単に写真撮影。
モバイル高速通信回線の普及と同時にソーシャルメディアの急激な発達という背景もある。
今日の出張レッスンにご参加いただいたある方の一言。
「フィルム時代には現像やプリントの費用がかかるから一枚一枚を丁寧に撮っていた。今は削除すれば良い、という安易な考えで撮るから構図にも甘さが出てくる...。」
見事な指摘である。
何が良い、何が悪い、というのではなく、写真には「撮影者がその時に感じた」意図や想いが込められているはずだ。
ところが、どう考えてもそのような意識が感じられない写真がwebに溢れるようになった。
思いの入っていない写真はスパムメールと同じで、回線トラフィックの増大と閲覧者の時間を無駄に搾取するだけ、というとんでもない時代になった。
スルーすれば良い、のかもしれない。
けれど、そんな感覚が日本をダメにしているように思えてならない。

「青い色のご飯」を食べたいと思うだろうか?
一般的に食べ物にあまり見受けられない青い色(寒色系)は、食欲を減退させるといわれる。
そのため、料理写真は「暖色系」のデコレーションが好まれる。
しかし、デジカメのAWBでの撮影写真は多くの場合「かなり青い色が強い」発色になる傾向がある。
また、画像を見る環境でも背面の液晶モニターが「真っ青」。
携帯・スマホの画面も「真っ青」。
極めつけは、PCモニター画面。WindowsのノートPCは論じる余地さえなく、一部のMacでも「真っ青」。
新幹線のテーブルで広げたお弁当。
蓋を開けた途端に「ご飯が真っ青」では一気に食欲がなくなるはずだ。
でも、web、ソーシャルメディアに溢れるお弁当や食べ物の写真は、「真っ青」か、そうでなければ電球色の「真っ黄色」...。
デジカメでパパッと撮影するときでも、「ご飯」でホワイトを撮ってやれば全然結果が変わるのに。
このお弁当。もう数年前モデルのLumixで撮ったもの。マニュアルホワイトバランスを取るのに数秒しかかからない。
いつから日本人は色に対してこれほどまでに「感性を失った」のだろうか?
この「パンダの顔色」が青くみえていれば、あなたのブラウズ環境は???かもしれない。

昔は「トリミングはダメ」という人が多かった。
それは、撮影時に意図した構図を後から変えてしまう行為が良くないとされたため。
ところが、昨今のデジタルデータの時代になると画像処理という「後工程」が必要となってきた。
この単なるワークフローの変化だけだったはずのものが、構図に対する意識を大きく変えたように思う。
適当に撮って後から画像処理の段階でトリミングをする...。
というスタイルが(一部では)当たり前になった。
だから、今日は桜の写真を500枚も撮ってんでぇ、スゴイやろ!って人が出てくる。
でも、その500枚のうち「アピール度が高く説得力のある写真」は、もしかするとゼロかもしれない。
「後処理するんだから、撮影時はテキトーに撮ってればいいんだよね...。」
という発想が蔓延していないだろうか?
撮影時に伝えたいものは何なのかを考える。そのために必要な手段や設定を考える。
ここで一つの重要な要素に構図があるはずだ。
なのに、構図まで意識が及ばす、テキトーに撮って後からトリミング、と安易にやってしまうから500枚撮っても一枚も説得力ある写真は手に入らないことになる。
背景を意識し、四隅も見渡して、脇役にも思いをめぐらす...。
前後関係や、大きさの対比、色の配色、具合...等々、この一連の動作が構図を考える、という言葉に集約されている。
あとでトリミングしなくても良いように良く考えてから撮る。
このアクションが身につけば、僅か5枚だけしか撮らなくても1、2枚は説得力のある写真が残せるのではないだろうか。
数はある意味においてはパワーである。そして数多く撮ることは必要である。
が、無駄なショット数だけを誇っても意味がない。
PVだけ誇る中身のないBlogや、フォワー数と投稿数は多いが、読むだけ時間の無駄になるゴミしか蓄積されていないTwitterアカウントと似ている。

「ノウハウの切り売りではなく体験を提供する」
そんな言葉を目にして久しい。
よく起業家向けセミナーなどで語られるキャッチかと思うのだが、そんな奇麗事言ってるようじゃアカンやろ、もっと地に足をつけて走って来い!売上げどうなってんねん!...。
これが正直なところではないだろうか?
実は、自分自身も給与所得者であった時代には、売上げ売上げ...の連呼に辟易し、そしてベッドに伏した。
人に雇われる生活に見切りをつけてからも、まぁ読みものとしては面白い切り口だな、とかそんなうまく行くわけないよね。
という感覚で捕らえていたのは事実。
ところが、色々な方々とのご縁が広がるにしたがってこれを実感し始めることになった。
特に、講師として人前で色々なノウハウを多くの人に伝える立場に立ってから大きな変化が起きてくる。
本来、代価を払っていただきこうしたノウハウやテクニック・考え方などをお伝えするわけで、webでの公開や単なるお問い合わせに対し、これらを流し放題にしてしまうのはどうなのか?
という部分で、やはり多少の懸念があるもの。
しかし、一切のフィルターを通さずに全てを伝えるように心がけると、受け手側で共感していただける場合が増えてくる。そして分け隔てなく情報も公開するようになれば、更にそこに波長を合わせていただける人たちも増える。
(これは情報セキュリティの考え方とはまた別のことであり勘違いする人が出ないことを願いたい)
喜んでいただける方がここにもお一人。(少し前の記事だが)
「茶々吉とデジ一 のんびり旅」
http://ameblo.jp/ikebero/entry-11170521369.htmlノウハウの切り売りではなく、共有体験をする場と時間を提供することが自分の役目だと考えるようになってから、ようやく「体験を提供する」という意味が分かってきたように思う。